こばると歴史探訪ログ

関西の史跡や寺社を訪れた記録です

第六十八代:後一条天皇(ごいちじょうてんのう)の菩提樹院陵(ぼだいじゅいんのみささぎ)

後一条天皇陵は、京都市左京区にあります。父上と夫人の陵からずいぶん離れた場所ですね。 住宅地の中にある円墳を整備したような敷地になっています。 天皇陵は、駐車場がないところが多いので、バイクで行くほうがよいです。 ここで再度、人物相関図のおさ…

第六十七代:三条天皇(さんじょうてんのう)の北山陵(きたやまのみささぎ)

三条天皇陵は、龍安寺から金閣寺へ向かって移動し、少し北西の場所にありました。 住宅地の中にあります。山の手の高級住宅街です。 三条天皇は第六十七代の天皇です。 六十三代冷泉天皇の第二皇子として生まれ、六十五代花山天皇の異母弟になります。先代の…

第六十六代:一条天皇(いちじょうてんのう)の 圓融寺北陵(えんゆうじのきたのみささぎ)

一条天皇陵は龍安寺の北側にありました。 龍安寺の駐車場の北のほうに参拝所までの通路があります。 龍安寺には、一条天皇だけでなく、他の天皇陵もいくつか隣接しています。 お寺の敷地内を歩きます。 宮内庁と龍安寺の看板がありました。 一条天皇陵へ行く…

第六十五代: 花山天皇(かざんてんのう)の 紙屋川上陵(かみやがわのほとりのみささぎ)

花山天皇の陵は金閣寺の近くにありました。 完全に住宅地の中です。 住宅地の中にありながら、参拝路は長く立派な敷地です。 花山天皇は冷泉天皇の子。冷泉天皇の在位はたった2年間でしたが、花山天皇も984年から986年の2年間の在位でした。しかし花…

第六十四代: 円融天皇(えんゆうてんのう)の後村上陵(のちむらかみのみささぎ)

円融天皇陵は、京都市右京区宇多野福王子町にある後村上陵(のちのむらかみのみささぎ)に治定されています。父である村上天皇の陵の近くです。 先代で兄の冷泉天皇陵が、かなり離れた場所にあるのに対し、円融天皇陵はすぐ近くです。 円融天皇の在位は、969…

大原野神社

大原野神社に行きました。 大原野神社(おおはらのじんじゃ)は、京都市西京区大原野にある神社です。 「京春日(きょうかすが)」の別称があり、その春日大社、京都の吉田神社と並んで、「藤原氏の氏神三社」のひとつに数えられます。 平安京以前に由緒をも…

第六十三代:冷泉天皇(れいぜいてんのう)の櫻本陵(桜本陵:さくらもとのみささぎ)

冷泉天皇陵は、京都市左京区にありました。 場所は平安京内裏の真西方向、陽成天皇陵のさらに西側になります。 哲学の道が近くにあります。先代で父親の村上天皇陵や子供の花山天皇陵とずいぶんと離れた場所なので、なんでこっちなの?と不思議に思いました…

第六十二代: 村上天皇(むらかみてんのう)の村上陵(むらかみのみささぎ)

村上天皇の陵は、バイクでたまに走る周山街道162号線の京都盆地の出入り口近くにありました。 山の麓から、少し登ったところにあるようです。バイクを入り口に停めて歩きました。 拝礼所までの道は、石が綺麗に敷き詰められた緩やかな階段になっています…

第六十一代: 朱雀天皇(すざくてんのう)の醍醐陵(だいごのみささぎ)

朱雀天皇の醍醐陵は伏見区の醍醐にありました。 醍醐天皇陵の近くです。 住宅街の中にあります。 朱雀天皇は、醍醐天皇の第十一皇子でしたが、兄とその子は(道真の怨霊のせい?)で早逝し、母が藤原基経の娘でしたので、立太子となりました。 治世中の935年…

第六十代:醍醐天皇(だいごてんのう)の 後山科陵(のちのやましなのみささぎ)

醍醐天皇の 後山科陵(のちのやましなのみささぎ)は山科にありました。 醍醐天皇は第60代の天皇。在位は897年から930年までの33年間です。 宇多天皇の第一皇子です。臣籍として生まれ、宇多天皇とともに臣籍から皇族に復帰し、父の即位とともに皇族、親王とな…

第五十九代:宇多天皇(うだてんのう)の大内山陵(おおうちやまのみささぎ)

宇多天皇の大内山陵は、先代の光孝天皇の陵の北方1Kmのところにありました。 道路のヘアピンカーブ脇に山道の登り口があります。車一台くらいの駐車スペースがあります。山道は車の通行も多く、ここまで歩いて登ってくるのは大変ですね。 山道はあまり整備さ…

第五十八代:光孝天皇(こうこうてんのう)の後田邑陵(のちのたむらのみささぎ)

光孝天皇の陵は、京都市右京区の宇多野馬場町にありました。宮内庁上の形式は円丘です。「小松山陵(こまつやまのみささぎ)」ともよばれています。埋葬地の確実性は薄いようです。 光孝天皇は、仁明天皇の子で文徳の弟です。文徳の直系である清和・陽成の後…

京都・西山三山・光明寺

京都長岡京市にある光明寺へ行ってみました。 法然上人の所縁の地だそうです。 法然といえば浄土宗の開祖です。浄土宗は「南無妙法蓮華経」と唱えたら誰でも公平に成仏できるという教えです。シンプルな教えが大衆に受け入れられて、広まったのでしょう。法…

神峯山寺と毘沙門天

高槻をふらふらとバイクで走っていて、途中休憩したカフェで地図を見ていたら、近くに神峯山寺というお寺があったので、寄ってみました。 新名神高速道路が名神と合流する高槻JCTの近くにあります。参拝者駐車場から高速道路が見えました。 駐車場はバイクを…

第五十七代:陽成天皇(ようぜいてんのう)の水尾山陵(みずのおやまのみささぎ)

陽成天皇の水尾山陵は、平安神宮の北側にありました。このあたりは、あまり行かない場所です。周囲に他の天皇陵がいくつか点在しています。 陽成天皇は、生後3ヶ月足らずで立太子。876年、9歳の時に父の清和天皇から譲位されます。 当然政治を行うことは出来…

空海の風景

2021年も今日で終わりです。 世間はコロナ禍が続いて大変な年でしたが、個人的には仕事もプライベートも穏やかに過ごさせていただき、どこか申し訳ない気がした一年でした。来年そのしっぺ返しが来ないよう、周囲への感謝の気持ちを持った一年にしたいと思い…

古代史における水銀の役割について

蒲池明弘氏の「邪馬台国は「朱の王国」だった 」(文春新書) 新書 を読みました。 とても興味深い内容の本でした。 著者は古代史を、水銀をつくる原料である辰砂の採掘という視点から分析しています。邪馬台国から奈良時代(2世紀~8世紀)において、辰砂と…

第五十六代:清和天皇(せいわてんのう)の水尾山陵(みずのおやまのみささぎ)

清和天皇の在位は858年から876年までの18年間です。即位はなんと9歳の時です。27歳でやはり9歳の息子の陽成天皇に譲位し、その後出家をして880年の31歳の時に亡くなります。 9歳で即位したのは、父の文徳天皇が若くして亡くなったからです…

第五十五代:文徳天皇(もんとくてんのう)の田邑陵(たむらのみささぎ)

文徳天皇(もんとくてんのう)は55代目の天皇です。在位は西暦850年から858年。仁明天皇の第一皇子で、母は藤原冬嗣の娘です。 承和の変(842年)で、皇太子の恒貞親王(仁明の従兄)が廃されると、伯父の藤原良房に推されて立太子し、850年に仁明天…

「大海人皇子=漢皇子」説について

ここしばらく、京都の天皇陵巡りを中断しています。緊急事態宣言と暑さの理由からです。 そのかわりに日本史の解説本や歴史小説を読んでいます。私は今まで公共の図書館をほとんど利用していませんでしたが、歴史本は図書館にたくさん置いてあるので、最近よ…

西国三十三所巡礼⑥

昨年から始めた西国三十三所巡りもやっと終了です。コロナ自粛で行けない時期があったので、9か月もかかってしました。最後の二ヵ所の記事です。 第三十番 竹生島宝厳寺 三十三か所のうち、宝厳寺は最もアクセスしにくい場所でした。琵琶湖の竹生島にあり、…

第五十四代:仁明天皇(にんみょうてんのう) の深草陵(ふかくさのみささぎ)

仁明天皇は、第54代の天皇です。 仁明天皇の在位は833年から850年までの17年間。794年の平安京への遷都から40年あまり経った頃、嵯峨天皇の第二皇子である叔父の淳和天皇から譲位されました。 藤原氏は仁明天皇の世でもやりたい放題です。 仁明天皇が即位し…

第五十三代:淳和天皇(じゅんなてんのう)の大原野西嶺上陵(おおはらののにしのみねのえのみささぎ)

淳和天皇は淳和天皇は桓武天皇の第七皇子。兄の平城天皇、嵯峨天皇に次いで即位しました。53代の天皇になります。在位は823年から833年の10年間です。 嵯峨天皇が即位したとき、平城天皇の嫡子が皇太子でした。平城天皇が復権を試みた薬師の変で、その子が廃…

第五十二代:嵯峨天皇(さがてんのう)の嵯峨山上陵(さがのやまのえのみささぎ)

嵯峨天皇は52代の天皇です。在位は809年から 823年の14年間です。 兄である平城天皇から809年に譲位されました。しかし譲位後一年で兄が権力を取り戻そうとしたので、武力によってそれを押さえました。譲位時に平城天皇の子を皇太子としていまし…

第五十一代:平城天皇(へいぜいてんのう)の楊梅陵(やまもものみささぎ)

平城天皇(へいぜいてんのう)は、桓武天皇の第一子。在位が806年から 809年の3年間です。第51代の天皇になります。 桓武天皇が死去したあと即位しました。当初は政治に意欲的に取り組み、様々な改革を行って、政治・経済を立て直しました。しかしもともと虚…

崇道天皇(早良親王)の八島陵(やしまのみささぎ、やしまりょう)

早良親王(さわらしんのう)は、光仁天皇の皇子です。桓武天皇の同母弟になります。桓武天皇が即位した後に、桓武天皇の皇太弟に立てられました。出家してお坊さんになっていたのに、桓武天皇が崩御した場合に幼い皇子が即位する事態を回避するため還俗した…

第五十代:桓武天皇(かんむてんのう)の柏原陵(かしわばらのみささぎ)

桓武天皇は、歴代天皇の中でもベスト5に入るくらいの有名な天皇だと思います。在位は781年から806年までの25年間と長いです。 桓武天皇が有名なのは、平城京から平安京に遷都し、京都千年の都の始まりをつくった人だからですね。 桓武天皇は光仁天皇の長男…

第四十九代:光仁天皇(こうにんてんのう)の田原東陵(たはらのひがしのみささぎ)

光仁天皇は第49代天皇です。在位は770年から781年までです。 60歳で即位。奈良時代の最後の天皇となります。奈良時代の末期は、政争が多く、多くの人が命を落としました。称徳天皇の世から粛清が続いたのです。光仁天皇は第7皇子である基親王(志貴皇子)…

第四十七代:淳仁天皇(じゅんにんてんのう)の淡路陵(あわじのみささぎ)

淳仁天皇は第47代の天皇です。在位は758年から764年まで。淡路廃帝(あわじはいたい)とも呼ばれていて、天皇陵は淡路島にあります。 なぜ奈良と離れて、こんな遠い場所に陵墓があるのかというと、政権争いで、淡路島に流されて、不遇の死を遂げたからです。…

西国三十三所巡礼⑤

西国三十三所も残り四ヶ所です。琵琶湖の近江八幡市にある二つのお寺に行きました。 第三十一番 長命寺 長命寺は武内宿禰が開闢、聖徳太子が開基のお寺といわれています。武内宿禰は昭和の一圓紙幣の肖像になった人。 よく知らなかったのですが、景行・成務…