こばると歴史探訪ログ

関西の史跡や寺社を訪れた記録です

2019-01-01から1年間の記事一覧

堺市博物館で仁徳天皇陵VRツアー

仁徳天皇陵へ行ったときに、大仙公園の堺市博物館に行ってみました。 仁 徳天皇陵の南側に大仙公園の入り口があります。 大仙公園の中にも古墳があるんですね。孫太夫山古墳です。 ぱっと見ただけでは、よくわかりませんが。。。 博物館は公園内の、入り口か…

第二十代:安康天皇(あんこうてんのう)の菅原伏見西陵(すがわらのふしみのにしのみささぎ)

安康天皇の陵墓は第二阪奈道路の奈良側出口の近くにあります。ちょっと入り組んだ場所にあるので、クルマで行く場合は少し大変かもしれません。バイクで行くと、細い路地でも安心して走れますので大丈夫でした。 古墳の形はわかりません。城郭であったという…

第十九代:代允恭天皇(いんぎょうてんのう)の惠我長野北陵(えがのながののきたのみささぎ)

允恭天皇陵は百舌鳥古墳群ではなく、古市古墳群にあります。 こちらも前方後円墳の設計です。 拝礼所を見つけるのは少し苦労しました。地図で場所はわかっているのですが、立ち入る場所がわかりません。拝礼所の周りは住宅があるのですが、どこにも入るとこ…

第十八代:反正天皇(はんぜいてんのう)の百舌鳥耳原北陵(もずのみみはらのきたのみささぎ)

仁徳天皇陵と履中天皇陵を訪れた日に、反正天皇陵にも行きました。反正天皇は仁徳天皇の子供で、履中天皇の弟です。履中天皇の後を継いで天皇になりました。歯並びがよくて容姿端麗であったことから、瑞歯別皇子と呼ばれていました。 きれいな前方後円墳です…

第十七代:履中天皇(りちゅうてんのう)の百舌鳥耳原南陵(もずのみみはらのみなみのみささぎ)

仁徳天皇陵に行ったときに、すぐ南にある履中天皇陵にも行きました。5世紀前半に実在した天皇といわれています。 きれいな前方後円墳です。 戦後の昭和三十年代は百舌鳥古墳群の天皇陵に指定されていない小さい古墳は、たくさん住宅にかわってしまったそうで…

第十六代: 仁德天皇(にんとくてんのう)の百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)

令和になって橿原神宮へお参りしたことを契機に、神武天皇から順番に陵墓巡りをしています。やっと十六代の仁德天皇陵まで来ました。古墳には興味がありませんでしたが、ここだけは何度か来たことがありました。仁徳天皇陵は、日本で一番大きい誰でも知って…

第十五代:応神天皇(おうじんてんのう)の惠我藻伏崗陵(恵我藻伏岡陵:えがのもふしのおかのみささぎ)

応神天皇(おうじんてんのう)は仲哀天皇の第四子で、仁徳天皇の父にあたる人。この天皇も実在性は明らかではありません。ここは誉田山古墳(こんだやまこふん)と呼ばれています。 ここも立派な前方後円墳です。前方後円墳といえば仁徳天皇陵という印象が強…

古市古墳関係の展示「アイセル シュラ ホール」

仲哀天皇陵をグーグルマップで事前予習していたら、近くに面白い形の建築物がありました。調べてみると藤井寺市の公共施設で、古市古墳の資料を展示しているようです。勉強になりそうでしたので、仲哀天皇の陵墓に行ったついでに寄ってみました。 上から見る…

第十四代:仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の惠我長野西陵(恵我長野西陵:えがのながののにしのみささぎ)

仲哀天皇の陵墓に行ってきました。下道は道路が混むので高速で行きました。西名阪自動車道の藤井寺ICから降りてすぐです。 古市古墳群(ふるいちこふんぐん)の中にある岡ミサンザイ古墳が仲哀天皇陵とされています。 仲哀天皇は、十二代景行天皇の皇子であ…

第十四代天皇仲哀天皇の皇后:神功皇后の狹城盾列池上陵(さきのたたなみのいけのえのみささぎ)

神功皇后は仲哀天皇の奥さん。 神功皇后は明治時代までは第十五代天皇、初の女性天皇とされてましたが、大正15年の皇統譜により歴代天皇から外されたそうです。 神功皇后は、戦いの話が多いです。仲哀天皇の頃から朝鮮と戦争をしていて、仲哀天皇が亡くなっ…

日本武尊(やまとたけるのみこと)の白鳥陵(しらとりのみささぎ)

ヤマトタケル陵は、奈良県御所市にあります。 私が天皇陵に興味を持つきっかけになったのが、この日本武尊の陵墓でした。この近辺をバイクで走っていた時に、グーグルマップで日本武尊陵というのを見かけて行ってみようと思いました。私は日本武尊は空想上の…

第十三代:成務天皇(せいむてんのう)の狹城盾列池後陵(さきのたたなみのいけじりのみささぎ)

成務天皇の陵墓は奈良県の平城宮跡の北にあります。垂仁天皇の皇后日葉酢媛命の陵墓の側にあり同日に訪れました。 御陵名は、狹城盾列池後陵(さきのたたなみのいけじりのみささぎ)といいます。この漢字は読めません。読める人はかなりの古墳マニアですね。…

第十ニ代:景行天皇(けいこうてんのう)の山邊道上陵(山辺道上陵:やまのべのみちのえのみささぎ)

景行天皇は日本武尊(ヤマトタケル)の父です。陵は纏向の箸墓古墳の近くにありました。崇神天皇陵を少し南に行ったところです。遺跡名は渋谷向山古墳です。 立派な前方後円墳で、宮内庁は景行天皇陵として指定していますが、少しあやしいようで、証拠はあり…

第十一代:垂仁天皇皇后 日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)の狹木之寺間陵(さきのてらまのみささぎ)

日葉酢媛命は、垂仁天皇の二番目の皇后です。垂仁天皇との間に景行天皇を産んでいます。 狹木之寺間陵の遺跡名は佐紀陵山古墳といいます。 平城宮跡の北にある古墳群のひとつです。池の中にある前方後円墳が狹木之寺間陵。皇后の陵墓としてはかなり立派です…

第十一代:垂仁天皇(すいにんてんのう)の菅原伏見東陵(すがわらのふしみのひがしのみささぎ)

垂仁天皇(すいにんてんのう)の菅原伏見東陵(すがわらのふしみのひがしのみささぎ)に行ってきました。 池に挟まれて細い道があります。これは初めてのパターンです。松の木があるので、天橋立っぽい感じですね。 道の突き当りに拝礼する鳥居があります。 …

第十代:崇神天皇(すじんてんのう)の山邊道勾岡上陵(山辺道勾岡上陵:やまのべのみちのまがりのおかのえのみささぎ)

崇神天皇は第十代の天皇。大和王朝の最初の大王だといわれています。実在ならば治世時期は3世紀後半です。 場所は奈良県169号線沿いのわかりやすい場所にあります。 道路側の入り口に車を数台停めれる駐車場があります。天皇陵墓の駐車場は、使用不可のとこ…

銅鏡をめぐる妄想

先日、黒塚古墳で33面の銅鏡のレプリカを見てから、なんとなく銅鏡のことが気になって仕方ありません。銅鏡は何度も見たことありますが、多分墓の中に33面も入れて埋葬してあった、ということが強く印象に残ったのです。 その頃の権力者にとって銅鏡は宝…

卑弥呼の里/箸墓古墳

まだ暖かいだろうと思って、ジージャンでバイクに乗って奈良へ行きました。高速を走っていると、風が冷たくて体が冷えてしまいました。他のライダー達はダウンや革ジャンを着ていて、すっかり冬モードです。バイクの服装は、歩いている人の服装を参考にして…

大阪歴史博物館

大阪歴史博物館へ、久しぶりに行ってきました。 大阪城と難波宮跡公園の間に、大阪歴史博物館はあります。 この建物はシーザー・ペリ氏の設計です。あべのハルカスや、大阪国立国際美術館も彼の設計です。 ペリ氏は面白い空間設計をする建築家で、歴史博物館…

吹田市博物館

今年のマイブームは近畿の古代史です。 奈良時代までの史跡巡りを楽しんでいます。でも夏場の奈良はむちゃくちゃ暑いので、奈良以外の史跡を探していたら、吹田市博物館というのを見つけました。家から遠くないので行ってみることにしました。 地図で確認す…

筱見四十八滝と雲部車塚古墳

夏場のツーリングは、山のほうが涼しいので、以前から気になってた丹波篠山市の筱見(ささみ)四十八滝へ行ってみました。関西で四十八滝といえば、三重県の赤目、和歌山県の那智あたりが有名で、筱見四十八滝ってあまり聞いたことありません。 大阪から日本…

第九代:開化天皇(かいかてんのう)の春日率川坂上陵(かすがのいざかわのさかのえのみささぎ)

欠史八代の最後の開化天皇(かいかてんのう)の陵墓は、奈良市内にあります。橿原からかなり離れています。日本書紀には、開化天皇が春日の率川宮(いさがわのみや)に都を移すと書かれてあり、天皇陵の南にある率川神社境内が宮跡にあたるとされています。 …

第八代:孝元天皇(こうげんてんのう)の劔池嶋上陵(剣池島上陵:つるぎのいけのしまのえのみささぎ)

孝元天皇(こうげんてんのう)は第八代の天皇です。 劔池嶋上陵は、橿原神宮の近く飛鳥よりにありました。以前橿原神宮へ行った時に、こちらにも寄っておけばよかったかな。 住宅街の中にある石川池の傍にひっそりと陵墓への入り口がありました。陵の側には…

尼崎市立田能遺跡資料館

先週は病気だったので週末は休養してましたが、バイクに少しだけ乗って、近所の田能遺跡へ行ってきました。 入り口には広い駐車場があります。無料です。それほど混雑する施設ではなさそうです。 入場料も無料です。この遺跡の発掘は1965年。資料館は5年…

柏原市立歴史資料館

大阪在住の私は、休日によく奈良方面にツーリングに行きます。大阪市内から下道だけを走って奈良へ行くと、時間がかかってしまうため、だいたい生駒山の中央を通る阪奈トンネルを通る第二阪奈道路か、松原JCTを通って西名阪自動車道か、あるいは美原北ICを経…

吉祥草寺

役行者の生誕の地とされる吉祥草寺に行ってきました。役行者ファンの自分としては一度は訪れないといかんなあ、と思っていたお寺です。 役行者(役小角)は、舒明天皇6年(634年)伝 に生まれて、大寶元年(701年)に亡くなった実在の人物。賀茂氏から出た氏…

第七代:孝霊天皇(こうれいてんのう)の片丘馬坂陵(かたおかのうまさかのみささぎ)

孝霊天皇(こうれいてんのう)は第七代天皇です。片丘馬坂陵(かたおかのうまさかのみささぎ)へ行ってみました。 奈良県道201号山陵王寺線(みささぎおうじせん)沿いに御陵の入り口はあります。今回は事前にGoogle Mapで予習をしていたので、拝礼所はすぐ…

第六代:孝安天皇(こうあんてんのう)の玉手丘上陵(たまてのおかのえのみささぎ)

第六代天皇である孝安天皇(こうあんてんのう)の玉手丘上陵(たまてのおかのえのみささぎ)に行きました。 葛城山麓にあった五代孝昭天皇陵から、飛鳥の方角へ1キロくらい、玉手という場所に孝安天皇の御陵はあります。 ここも行きにくかったです。県道116…

第五代:孝昭天皇(こうしょうてんのう)の掖上博多山上陵(わきのかみのはかたのやまのえのみささぎ)

孝昭天皇(こうしょうてんのう)は、第五代の天皇です。日本書記に「孝昭天皇を掖上博多山上陵に葬られた」とあり、この地が治定されたようです。 場所がわかりにくくて、拝礼所まで辿り着くのにかなり時間がかかりました。 この場所へわざわざ行く人は、か…

第四代:懿徳天皇(いとくてんのう)の畝傍山南纖沙溪上陵(うねびやまのみなみのまなごのたにのえのみささぎ)

第四代の懿徳天皇(いとくてんのう)も日本書紀では系譜の記載のみで、欠史八代の1人に数えられています。日本書紀に「畝傍山南纖沙溪上陵に葬られた」との記載があるため、畝傍山の南が陵として定められたようです。 安寧天皇陵から南のほうへ徒歩7~8分で…