後宇多天皇の蓮華峯寺陵は嵯峨嵐山の北西部にありました。
自然公園の中にひっそりとあります。なんとなく特別感がありましたので、嵯峨天皇と同じく、立派な人なのだとうと創造して、Wikipedeaで調べると、そのようでした。
後宇多天皇の在位は1274年から1287年の13年間です。亀山天皇の第二皇子として誕生。祖父・後嵯峨上皇の意志により、1268年に生後8か月で立太子。1274年に亀山天皇から譲位を受けて8歳で践祚。亀山上皇による院政が行われました。
大覚寺統の天皇で、中世日本最高の賢帝の一人といわれました。対立する持明院統の花園天皇からも「末代の英主」と称えられたそうです。
第一次院政期に訴訟制度改革に取り組み、大きな業績を残しました。しかし、晩年は仏教への傾倒が過剰で政治を疎かにしたとも言われます。
あえて政治の場を離れたのは、子の後醍醐に親政をさせて天皇としての威信と経験を積ませ、大覚寺統体制を盤石にするための、意図的な判断だったとする説もあります。
結果的に後醍醐の建武政権を通して室町幕府の政策にも影響を与えた人です。