後二条天皇陵は、京都市左京区の京大キャンパスのすぐそばにあります。
大覚寺統の後宇多天皇の第一皇子で、後伏見天皇の皇太子となりました。後醍醐天皇の異母兄となります。在位は、1301年から1308年の7年間。24歳で亡くなります。
南北朝の争いは、鎌倉幕府と朝廷との関係で生まれたものでした。天皇への権力集中を制御するために、鎌倉幕府は治天と天皇を、持明院統と大覚寺統の両系統で交代させていました。
後二条天皇はそうした流れの中で即位実現したものでしたが、半世紀以上にわたって両統迭立を重ねてきた結果、この天皇の即位後は3年半にわたって、史上最多となる5代の上皇(後深草院・亀山院・後宇多院・伏見院・後伏見院)が同時に存在することに。
持明院統と大覚寺統の両系統の軋轢は膨張し、朝廷の鎌倉幕府への不満となっていくのでした。