こばると歴史探訪ログ

関西の史跡や寺社を訪れた記録です

第九十五代:花園天皇(はなぞのてんのう)の十樂院上陵(じゅうらくいんのうえのみささぎ)

花園天皇陵は、知恩院の北側にあります。休日に行ったのですが、土日祝日は閉められていて、参拝できませんでした。 お隣の青蓮院の庭から、行けるかも、と思って青蓮院の中へ。 こっちの方角のはずと、北側の小山を登ってみます。 柵越しで、近くには行けま…

第九十四代:後二条天皇(ごにじょうてんのう)の北白河陵(きたしらかわのみささぎ)

後二条天皇陵は、京都市左京区の京大キャンパスのすぐそばにあります。 大覚寺統の後宇多天皇の第一皇子で、後伏見天皇の皇太子となりました。後醍醐天皇の異母兄となります。在位は、1301年から1308年の7年間。24歳で亡くなります。 南北朝の争いは、鎌…

第九十二代:伏見天皇(ふしみてんのう)と九十三代:後伏見天皇(ごふしみてんのう)の深草北陵(ふかくさきたのみささぎ)

伏見天皇と後伏見天皇は、歴史的にあまり有名でありません。大きな政変もないし、この時代では、後の花園天皇や後醍醐天皇の存在感があります。 伏見天皇、後伏見天皇の陵も独立したものはなく、深草北陵に他の10帝と合祀となっています。 伏見天皇は、1287…

第九十一代:後宇多天皇(ごうだてんのう)の蓮華峯寺陵(れんげぶじのみささぎ)

後宇多天皇の蓮華峯寺陵は嵯峨嵐山の北西部にありました。 自然公園の中にひっそりとあります。なんとなく特別感がありましたので、嵯峨天皇と同じく、立派な人なのだとうと創造して、Wikipedeaで調べると、そのようでした。 後宇多天皇の在位は1274年から12…

第九十代:亀山天皇(かめやまてんのう)の亀山陵(かめやまのみささぎ)

亀山天皇陵は、後嵯峨天皇陵と同じ場所、京都市嵐山の天龍寺内にあります。 後嵯峨天皇陵の左側に、同じように並んでいます。 亀山天皇は、後嵯峨天皇の皇子で、先帝の後深草天皇の弟になります。母は同じ中宮・西園寺姞子。 後深草天皇の体調が悪いため兄よ…

第八十九代:後深草天皇(ごふかくさてんのう)の深草北陵(ふかくさきたのみささぎ)

後深草天皇の深草北陵は京都市伏見区にありました。伏見稲荷神社の半キロほど南です。 深草北陵は別名深草十二帝陵とも呼ばれ、後深草天皇だけではなく、鎌倉時代から室町時代にかけて持明院統の歴代12人の天皇の陵、および伏見宮栄仁親王の墓になります。 …

第八十八代:後嵯峨天皇(ごさがてんのう)の嵯峨南陵(さがのみなみのみささぎ)

後嵯峨天皇陵は、嵐山の天龍寺の中にあります。 嵐山はたまに来ています。渡月橋からみる山は、いつ見てもいい景色ですね。 渡月橋から少し歩いたところに天龍寺があります。 門から入ってしばらく歩きます。 つきあたり。この右側にあるようなのですが。 小…

第八十七代:四条天皇(しじょうてんのう)の月輪陵(つきのわのみささぎ)

四条天皇の月輪陵に行ってきました。 泉涌寺の境内にあるようです。 皇族の方が入る入り口はありましたが、閉まっていました。 横の方に一般人用の入り口がありました。 天皇の名前がたくさん並んでいます。 かなり厳かな印象です。まさしく皇室というデザイ…

第八十六代:後堀河天皇(ごほりかわてんのう)の観音寺陵(かんおんじのみささぎ)

後堀河天皇陵は、京都市の東山区にある泉涌寺の北にありました。 後堀河天皇の在位は1221年から1232年の9年間です。 北条氏を討とうと挙兵した承久の乱は失敗し、鎌倉幕府は後鳥羽上皇、土御門上皇、順徳上皇を配流しました。そして順徳天皇から譲位されて…

第八十五代:仲恭天皇(ちゅうきょうてんのう)の九條陵(くじょうのみささぎ)

仲恭天皇陵は、鴨川東ICの近くにありました。 実はここは桜の季節に訪れたのですが、いろいろ調べているうちに記事作成をさぼってしまってました。 散った桜の花びらが、石畳をピンクに染めてました。 石碑には、九條陵と月輪南陵とあります。 ゆるやかな石…

第七十五代:崇徳天皇(すとくてんのう)の白峯陵(しらみねのみささぎ)

四国にある崇徳天皇陵に行ってきました。場所は香川県坂出市です。四国にある唯一の天皇陵です。 標高337メートルの白峯山の山上に、八十八か所の霊場のひとつ白峯寺があります。お遍路さんの参拝者が多いので、道はきれいに整備されていました。歩いて登っ…

第八十四代:順徳天皇(じゅんとくてんのう)の大原陵(おおはらのみささぎ)

順徳天皇陵は、後鳥羽天皇と同じく大原陵になっています。 順徳は、1200年に土御門天皇の皇太弟となりました。1210年後鳥羽上皇の強い意向により、土御門天皇の譲位を受けて践祚し、14歳で即位しました。譲位した後は後鳥羽上皇による院政が継続されました。…

第八十三代:土御門天皇(つちみかどてんのう)の金原陵(かねがはらのみささぎ)

土御門天皇陵は長岡京にありました。 丘の上の住宅街の中にあります。参拝道のそばには建売住宅のお庭が並んでいます。普通は目隠しをしているものですが、珍しいですね。 土御門天皇は、父の後鳥羽天皇より1198年に3歳で譲位されました。 しかし、穏和な性…

第八十二代:後鳥羽天皇(ごとばてんのう)の大原陵(おおはらのみささぎ)

後鳥羽天皇陵は京都左京区の大原にあります。 大原には5年ぶりくらいに行きました。ちょうど雪が積もっていてたので、麓の駐車場に車を止めて、三千院までは歩いて登りました。後鳥羽天皇陵は三千院の正門から北側へ少しばかり歩いたところにあります。 歴…

建礼門院の陵

京都大原にある建礼門院(平徳子)の陵を訪れました。 雪がまだ残っていました。 雪があるので雰囲気がよいです。 陵を訪れたあと、隣にある寂光院に行きました。 ここは平徳子が隠遁していた場所だそうです。 平 徳子は、平清盛の娘で、第80代天皇・高倉天…

第八十一代:安徳天皇(あんとくてんのう)の阿彌陀寺陵(あみだじのみささぎ)

安徳天皇陵は、山口県下関市阿弥陀寺町にある阿彌陀寺陵(あみだじのみささぎ、阿弥陀寺陵)に治定されています。 九州にバイクでツーリングに行ったときに寄りました。 壇ノ浦の戦いの1年後に、源頼朝の命により阿弥陀寺御影堂が建てられました。明治時代の…

第八十代:高倉天皇(たかくらてんのう)の後清閑寺陵(のちのせいかんじのみささぎ)

高倉天皇陵は、六条天皇陵と同じ場所にあります。なぜ同じ場所なのか。二人とも後白河院の影響下にあったからなのでしょうか。 それと陵へは、清水寺への裏道のほうからではなく、清閑寺の駐車場がありましたので、車で行かれる場合はそちらに停めたほうがい…

第七十九代:六条天皇(ろくじょうてんのう)の清閑寺陵(せいかんじのみささぎ)

六条天皇陵は清水寺の東(裏)側にある清閑寺にありました。 116号線から入ったところにバイクを止めて、石段をあがりました。 清水寺への裏道の入り口に、陵の石碑案内板がありました。 道路をそれて山道に入っていきます。 登山道のような小道です。 数…

第七十八代:二条天皇(にじょうてんのう)の香隆寺陵(こうりゅうじのみささぎ)

二条天皇陵は、北野天満宮の西側にありました。 二条天皇は1143年生まれ、在位は1158年(15歳)から 1165年(22歳)までです。御陵は北野天満宮の近くなので、何か関係あるのかと思いましたが、特になさそうです。 二条天皇(孫王。後の守仁)は、鳥羽法皇の…

第七十七代:後白河天皇(ごしらかわてんのう)の法住寺陵(ほうじゅうじのみささぎ)

後白河天皇陵には、二度行きました。 一度目は休日に行ったのですが、門がしまっていて入れませんでした。調べてみると、平日のみ開いているとのこと。 がっかりしました。今まで数十か所の天皇陵を訪れてきましたが、休日に入れない場所なんて初めてでした…

矢澤高太郎著「天皇陵の謎」

矢澤高太郎氏の「天皇陵の謎」を読みました。 天皇陵に関心のある人には、とてもいい本です。特にこれから天皇陵を回る方にはお薦めできます。 著者の矢澤高太郎氏は元新聞記者です。天皇陵に関して、氏が調べた内容を、わかりやすくまとめています。これだ…

第七十六代:近衛天皇(このえてんのう)の安樂壽院南陵(あんらくじゅいんのみなみのみささぎ)

近衛天皇の陵は、鳥羽上皇の陵のすぐ近くにありました。 このあたりは鳥羽離宮といわれ、鳥羽上皇が院政を敷いた場所です。 近衛天皇陵は多宝塔になっています。珍しい。今まで訪れてきた天皇陵にはありませんでした。調べてみると、歴代天皇陵では唯一であ…

第七十五代:崇徳天皇(すとくてんのう)の崇徳天皇御廟

今回は崇徳天皇です。 崇徳天皇陵は、関西にはありません。香川県坂出市青海町にある白峯陵(しらみねのみささぎ)に治定されています。 崇徳天皇陵に大阪から車で行く場合、往復で400キロ(6~7時間)の距離なので、日帰りでも行ける場所です。 バイクのツ…

第七十四代:鳥羽天皇(とばてんのう)の安樂壽院陵(あんらくじゅいんのみささぎ)

鳥羽天皇の御陵は、白河天皇御陵の近く、第二京阪の高速高架を跨いだ側にありました。 高速道路から少し離れていて、車の通りも少ない少し落ち着いた場所になっています。 宮内庁の看板に「魚や鳥を取るな」と書いていますが、街なかの古墳でもない御陵で、…

第七十三代:堀河天皇(ほりかわてんのう)の後圓教寺陵(のちのえんきょうじのみささぎ)

第七十三代の堀河天皇の陵は、龍安寺北西にある一条天皇陵と同じ場所です。 堀河天皇は先代の白河天皇の第三皇子です。母は藤原賢子。 在位は1087年から 1107年までの20年間だそうです。思っていたより長い年数なので驚きました。父の白河天皇から譲位され…

第七十二代:白河天皇(しらかわてんのう)の成菩提院陵(じょうぼだいいんのみささぎ)

しばらくご無沙汰していた天皇陵参拝を再開しました。 72代の白河天皇の陵からです。 白河天皇陵は京都南ICの近くにあります。高速を降りて、このあたりかなと探していたらラブホがたくさんありました。白河天皇にはなんとなく好色なイメージがあったので…

比叡山延暦寺めぐり

比叡山延暦寺へ行ってきました。 延暦寺へのアクセスは、車だと比叡山ドライブウェイを利用します。京都平野と琵琶湖の間にある、山の尾根を走る17キロほどの道です。 ドライブウェイは有料です。片道の通り抜けで、自動車は2430円。バイクは1680円でした…

第七十一代:後三条天皇(ごさんじょうてんのう)の圓乘寺陵(えんじょうじのみささぎ)

第七十一代の後三条天皇も圓乘寺陵です。 後三条天皇の在位は1068年から1073年。 後朱雀天皇の第二皇子でした。藤原氏を外戚としない天皇は宇多天皇以来170年ぶりでした。 異母兄の後冷泉天皇の即位にあたり、12歳で皇太弟となります。 生母が藤原氏の出でな…

第七十代:後冷泉天皇(ごれいぜいてんのう)の圓乘寺陵(えんじょうじのみささぎ)

後冷泉天皇陵は、龍安寺北の父上の後朱雀天皇陵の左隣です。 歴史を知ってこそ、この場所の成り立ちがわかります。 天皇陵に興味なかった頃の私は、龍安寺の北側にこういう場所があるとも知りませんでした。 まあ世の中のほとんどの人はそうでしょう。龍安寺…

第六十九代:後朱雀天皇(ごすざくてんのう)の圓乘寺陵(えんじょうじのみささぎ)

後朱雀天皇の陵は、また龍安寺に戻ります。 龍安寺の石庭がある建物の北側に、右から御朱雀天皇陵、御冷泉天皇陵、後三條天皇陵の三陵が並んでいます。右端が御朱雀天皇陵です。 後朱雀天皇は1036年に28歳で即位し、1045年に37歳で亡くなりました。 後朱雀天…