伏見天皇と後伏見天皇は、歴史的にあまり有名でありません。大きな政変もないし、この時代では、後の花園天皇や後醍醐天皇の存在感があります。
伏見天皇、後伏見天皇の陵も独立したものはなく、深草北陵に他の10帝と合祀となっています。
伏見天皇は、1287年後宇多天皇の譲位により即位しました。源氏が平家を壇之浦で滅ぼしてから100年ほど経過していました。鎌倉幕府の北条氏はまだ力を持っていましたが、2度の元寇で御家人たちの不満は高まり、北条氏の力が衰えつつありました。
一方朝廷は、持明院統と大覚寺統に別れ対立していました。朝廷は幕府に調停を求めていましたが、朝廷内の不満はそのまま幕府への不満へとなっていきます。
後伏見天皇は、1298年に11歳で即位。父伏見天皇が院政を敷きます。天皇は実権がなくて、上皇もしくは法皇の院政というのがスタンダードですね。
この時代について、Wikipediaでいくつかの記事に目を通しましたが、あまり関心がわきませんでた。幕府も朝廷も内紛が多いだけで、魅力的な人物も見当たりませんね。