こばると歴史探訪ログ

関西の史跡や寺社を訪れた記録です

第九十二代:伏見天皇(ふしみてんのう)と九十三代:後伏見天皇(ごふしみてんのう)の深草北陵(ふかくさきたのみささぎ)

伏見天皇と後伏見天皇は、歴史的にあまり有名でありません。大きな政変もないし、この時代では、後の花園天皇や後醍醐天皇の存在感があります。

 

伏見天皇、後伏見天皇の陵も独立したものはなく、深草北陵に他の10帝と合祀となっています。

 

伏見天皇は、1287年後宇多天皇の譲位により即位しました。源氏が平家を壇之浦で滅ぼしてから100年ほど経過していました。鎌倉幕府の北条氏はまだ力を持っていましたが、2度の元寇で御家人たちの不満は高まり、北条氏の力が衰えつつありました。

 

一方朝廷は、持明院統と大覚寺統に別れ対立していました。朝廷は幕府に調停を求めていましたが、朝廷内の不満はそのまま幕府への不満へとなっていきます。

 

後伏見天皇は、1298年に11歳で即位。父伏見天皇が院政を敷きます。天皇は実権がなくて、上皇もしくは法皇の院政というのがスタンダードですね。

 

この時代について、Wikipediaでいくつかの記事に目を通しましたが、あまり関心がわきませんでた。幕府も朝廷も内紛が多いだけで、魅力的な人物も見当たりませんね。