2020-09-01から1ヶ月間の記事一覧
文武天皇は、第42代の天皇。在位は697年から707年です。 天武天皇と持統天皇の孫にあたり、若くして天皇になったようですが、在位は10年ほどで早逝しました。お祖母さんの後ろ盾で天皇になっただけで、あまりこれといった業績もないようですけど、平和な一生…
草壁皇子陵の記事をアップしてから、大津皇子陵も確認したくなりました。調べると二上山の山頂にあるということなので、行ってみました。 標高517mの山頂にあります。下の写真の赤いピンの場所です。 二上山を奈良側から見た写真です。大きい山が雄岳、小さ…
草壁皇子は、天武天皇と持統天皇の皇子です。そして文武天皇の親になります。早逝して即位はしていないのに岡宮天皇と称されているのは、文武天皇に正当性を与えるためだとされています。 草壁皇子には、大津皇子という異母兄弟がいました。大津皇子は父親の…
天武天皇と持統天皇の陵は、宮内庁により明日香村にある檜隈大内陵(ひのくまのおおうちのみささぎ)に治定されてます。古代の天皇陵にしてはめずらしく確実らしいです。安心して拝礼できますね。 道路から見える小高い丘の上に拝礼所らしきものが見えます。…
弘文天皇は大友皇子の天皇名です。 先代の天智天皇の崩御後に、大友皇子が即位しました。やがて叔父の大海人皇子が決起し、近江政権との戦争になります。政権側よりも大海人皇子を支援していた豪族の勢力が大きくて、大友皇子は自害しました。 ただ、弘文天…
天智天皇は舒明天皇の第二皇子です。母は皇極天皇(重祚して斉明天皇)です。 皇極天皇4年6月12日(西暦645年)に、中大兄皇子は中臣鎌足と、皇極天皇の御前で蘇我入鹿を暗殺します。乙巳の変です。入鹿の父の蘇我蝦夷は翌日自害します。 その翌日、皇極天皇…
孝徳天皇の陵墓は、太子町の竹内街道沿いにありました。 近くに推古天皇陵や用明天皇陵もあります。 この竹内街道は、飛鳥と難波を結ぶ重要な経路でした。竹内街道が通る二上山の大阪側と奈良側両方に古墳群がありますので、古墳時代から往来に使われていた…
蘇我入鹿の首塚へ行きました。 飛鳥寺の西側の少し歩いたところにあります。 小さな石の塔です。 子供の頃に大化の改新で教えてもらった歴史では、蘇我入鹿が悪人で、中大兄皇子と中臣鎌足がそれを成敗した正義の味方という筋書きでしたが、今ではそんなイメ…