こばると歴史探訪ログ

関西の史跡や寺社を訪れた記録です

2019-12-01から1ヶ月間の記事一覧

堺市博物館で仁徳天皇陵VRツアー

仁徳天皇陵へ行ったときに、大仙公園の堺市博物館に行ってみました。 仁 徳天皇陵の南側に大仙公園の入り口があります。 大仙公園の中にも古墳があるんですね。孫太夫山古墳です。 ぱっと見ただけでは、よくわかりませんが。。。 博物館は公園内の、入り口か…

第二十代:安康天皇(あんこうてんのう)の菅原伏見西陵(すがわらのふしみのにしのみささぎ)

安康天皇の陵墓は第二阪奈道路の奈良側出口の近くにあります。ちょっと入り組んだ場所にあるので、クルマで行く場合は少し大変かもしれません。バイクで行くと、細い路地でも安心して走れますので大丈夫でした。 古墳の形はわかりません。城郭であったという…

第十九代:代允恭天皇(いんぎょうてんのう)の惠我長野北陵(えがのながののきたのみささぎ)

允恭天皇陵は百舌鳥古墳群ではなく、古市古墳群にあります。 こちらも前方後円墳の設計です。 拝礼所を見つけるのは少し苦労しました。地図で場所はわかっているのですが、立ち入る場所がわかりません。拝礼所の周りは住宅があるのですが、どこにも入るとこ…

第十八代:反正天皇(はんぜいてんのう)の百舌鳥耳原北陵(もずのみみはらのきたのみささぎ)

仁徳天皇陵と履中天皇陵を訪れた日に、反正天皇陵にも行きました。反正天皇は仁徳天皇の子供で、履中天皇の弟です。履中天皇の後を継いで天皇になりました。歯並びがよくて容姿端麗であったことから、瑞歯別皇子と呼ばれていました。 きれいな前方後円墳です…

第十七代:履中天皇(りちゅうてんのう)の百舌鳥耳原南陵(もずのみみはらのみなみのみささぎ)

仁徳天皇陵に行ったときに、すぐ南にある履中天皇陵にも行きました。5世紀前半に実在した天皇といわれています。 きれいな前方後円墳です。 戦後の昭和三十年代は百舌鳥古墳群の天皇陵に指定されていない小さい古墳は、たくさん住宅にかわってしまったそうで…

第十六代: 仁德天皇(にんとくてんのう)の百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)

令和になって橿原神宮へお参りしたことを契機に、神武天皇から順番に陵墓巡りをしています。やっと十六代の仁德天皇陵まで来ました。古墳には興味がありませんでしたが、ここだけは何度か来たことがありました。仁徳天皇陵は、日本で一番大きい誰でも知って…

第十五代:応神天皇(おうじんてんのう)の惠我藻伏崗陵(恵我藻伏岡陵:えがのもふしのおかのみささぎ)

応神天皇(おうじんてんのう)は仲哀天皇の第四子で、仁徳天皇の父にあたる人。この天皇も実在性は明らかではありません。ここは誉田山古墳(こんだやまこふん)と呼ばれています。 ここも立派な前方後円墳です。前方後円墳といえば仁徳天皇陵という印象が強…

古市古墳関係の展示「アイセル シュラ ホール」

仲哀天皇陵をグーグルマップで事前予習していたら、近くに面白い形の建築物がありました。調べてみると藤井寺市の公共施設で、古市古墳の資料を展示しているようです。勉強になりそうでしたので、仲哀天皇の陵墓に行ったついでに寄ってみました。 上から見る…

第十四代:仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の惠我長野西陵(恵我長野西陵:えがのながののにしのみささぎ)

仲哀天皇の陵墓に行ってきました。下道は道路が混むので高速で行きました。西名阪自動車道の藤井寺ICから降りてすぐです。 古市古墳群(ふるいちこふんぐん)の中にある岡ミサンザイ古墳が仲哀天皇陵とされています。 仲哀天皇は、十二代景行天皇の皇子であ…

第十四代天皇仲哀天皇の皇后:神功皇后の狹城盾列池上陵(さきのたたなみのいけのえのみささぎ)

神功皇后は仲哀天皇の奥さん。 神功皇后は明治時代までは第十五代天皇、初の女性天皇とされてましたが、大正15年の皇統譜により歴代天皇から外されたそうです。 神功皇后は、戦いの話が多いです。仲哀天皇の頃から朝鮮と戦争をしていて、仲哀天皇が亡くなっ…

日本武尊(やまとたけるのみこと)の白鳥陵(しらとりのみささぎ)

ヤマトタケル陵は、奈良県御所市にあります。 私が天皇陵に興味を持つきっかけになったのが、この日本武尊の陵墓でした。この近辺をバイクで走っていた時に、グーグルマップで日本武尊陵というのを見かけて行ってみようと思いました。私は日本武尊は空想上の…

第十三代:成務天皇(せいむてんのう)の狹城盾列池後陵(さきのたたなみのいけじりのみささぎ)

成務天皇の陵墓は奈良県の平城宮跡の北にあります。垂仁天皇の皇后日葉酢媛命の陵墓の側にあり同日に訪れました。 御陵名は、狹城盾列池後陵(さきのたたなみのいけじりのみささぎ)といいます。この漢字は読めません。読める人はかなりの古墳マニアですね。…