こばると歴史探訪ログ

関西の史跡や寺社を訪れた記録です

第四十七代:淳仁天皇(じゅんにんてんのう)の淡路陵(あわじのみささぎ)

淳仁天皇は第47代の天皇です。在位は758年から764年まで。淡路廃帝(あわじはいたい)とも呼ばれていて、天皇陵は淡路島にあります。

 

なぜ奈良と離れて、こんな遠い場所に陵墓があるのかというと、政権争いで、淡路島に流されて、不遇の死を遂げたからです。

 

天智天皇と天武天皇の系統図をおさらいしながら、淳仁天皇の物語を整理したいと思います。

 

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♠が不遇の死。権力のある人に反抗したり、言いがかりをつけられたりして殺害された人です。とても多いですね。赤字は女の人。

 

淳仁天皇は女帝・孝謙天皇の次の天皇になります。淳仁天皇の後見人は、藤原一族の仲麻呂でした。もともと皇太子に指名されていたのは道祖王。仲麻呂は陰謀で道祖王を殺害し、自分の思い通りにできる淳仁天皇を次の天皇に押し上げたのです。

 

しかし、孝謙天皇の母親であり、仲麻呂の叔母である光明皇后が亡くなると、仲麻呂の政治力が低下、上皇となった孝謙は道鏡を重用し、次第に仲麻呂&淳仁天皇派と対立します。

 

焦った仲麻呂は武力で乱をおこしましたが、失敗して一族は滅ぼされ、淳仁天皇は廃位となって淡路島へ流されてしまいます。孝謙は再び天皇となり称徳天皇となります。そして最後に淳仁天皇は称徳天皇に暗殺されたといわれています。

 

周囲の政権争いで天皇に担ぎあげられ、やがて政権争いで殺害された淳仁天皇は、不遇という他はありません。結局、天武系天皇は称徳天皇で終わり、やがて天智系天皇へと変わっていくことになります。

 

 

淡路島にはバイクで行こうと思ってましたので、少し暖かくなるまで待っていました。3か月ぶりの天皇陵めぐりの再開です。

 

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陵は淡路島の南方、徳島県に近い場所です。高速を走ると、大阪から約一時間半くらいの距離でした。高速を降りて少しばかり走ると、田園風景の中に目立つ拝礼所がありました。大きな案内看板がありますので、場所はすぐにわかります。

 

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廃帝となって、どんな思いで淡路島に住んでいたのでしょうか。