こばると歴史探訪ログ

関西の史跡や寺社を訪れた記録です

崇道天皇(早良親王)の八島陵(やしまのみささぎ、やしまりょう)

早良親王(さわらしんのう)は、光仁天皇の皇子です。桓武天皇の同母弟になります。桓武天皇が即位した後に、桓武天皇の皇太弟に立てられました。出家してお坊さんになっていたのに、桓武天皇が崩御した場合に幼い皇子が即位する事態を回避するため還俗したのです。

 

やがて藤原種継が暗殺され、早良親王が関与した罪により皇太弟を廃されました。淡路に移送される途中で、抗議のための絶食をして亡くなりました。

 

桓武天皇が長岡京や平安京に遷都したのは、平城京で強くなった仏教寺院勢力の力を削ぐためだともいわれています。早良親王はその仏教界で力を持つ人だったので、政争の犠牲者といえるかもしれません。

 

早良親王の死後、いろんな人が亡くなったので、早良親王の祟りだと恐れられ、崇道天皇と追称され、親王の遺骸を大和国に移葬しました。それが崇道天皇陵です。崇道天皇は皇位継承ではないので、歴代天皇には数えられていません。

 

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京の鬼門に位置する左京区上高野には、京都で唯一早良親王のみを祭神とする崇道神社があります。

 

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