清和天皇の在位は858年から876年までの18年間です。即位はなんと9歳の時です。27歳でやはり9歳の息子の陽成天皇に譲位し、その後出家をして880年の31歳の時に亡くなります。
9歳で即位したのは、父の文徳天皇が若くして亡くなったからです。文徳天皇は藤原良房が暗殺したのではないか、という説もあります。
清和天皇は四男でした。兄が3人いましたが、母親が異なっていました。兄たちの母親は、藤原南家から嫁いだ女性で、清和天皇の母親は藤原北家の良房の娘でした。長男を皇太子にしたかった文徳天皇に圧力をかけて、良房が清和天皇を立太子したのです。
清和天皇は母親の父である藤原良房のおかげで若くして天皇になったので、祖父の言いなりであったでしょう。ただし良房は864年に病気で引退し、866年に応天門の後また摂政になりますが、871年に亡くなりました。
清和天皇の御陵は、京都市右京区嵯峨水尾清和にある水尾山にあります。かなり辺鄙な場所でした。ちょっとわかりにくいので、行かれる方のために写真を多く掲載しておきます。
亀岡あるいは京都から、京都日吉美山線50号線にはいって京都方面に進みます。愛宕山の南西の道路わきに案内の立札がありますので、そこから谷へ降ります。
立札は小さくて気づきにくいです。この道は何度もバイクで走ったことがありますが、一度も目に入ったことはありませんでした。車を駐車するところがありませんので、徒歩かバイクで来なければいけません。
谷のほうへ降りていきます。
途中石碑がありますので、そこから川の方へさらに降りていきます。
コンクリートで道が整備されて手すりもあります。
川のほうへ行くと物置ボックスがあります。
そこから登りの道になります。コンクリートの道ですので間違えません。
コンクリートと石の道を登っていきます。
途中から砂利道になります。
石を敷き詰めた道が見えてきます。
宮内庁の制礼板があります。
到着です。
天皇陵では珍しい木造の御陵になっています。
祖父の藤原良房の言いなりではありましたが、清和天皇には軟弱なイメージはありません。
それは清和源氏の祖とされているからです。源氏には祖とする天皇別に21の流派(源氏二十一流)があって、清和源氏はそのうちの一つになります。清和源氏の流れの河内源氏は、やがて鎌倉幕府をつくった源頼朝を生み出しました。
清和天皇の第六皇子貞純親王の子経基王が臣籍降下して源氏を称し、藤原北家を支えて栄えました。源経基の孫の三男頼信の子孫が源頼朝です。
この場所は源氏の聖地と考えたほうがよいかもしれません。
それと清和天皇といえばこのコミック「応天の門」。清和天皇の時代を背景に、菅原道真と在原業平が活躍する歴史サスペンスです。藤原良房や藤原基経、伴義男らも登場します。まだ読んでいる途中ですが、とてもいい作品です。