こばると歴史探訪ログ

関西の史跡や寺社を訪れた記録です

2020-01-01から1年間の記事一覧

多宝塔

先日石山寺に行ったときに、お堂を面白い形だなあ、と思いました。1階部分が方形になっていて、その上に円形のものが乗っている形です。 (上写真)石山寺の多宝堂 この形どこかで見たと過去の撮影写真を探していたら、3年ほど前に行った和歌山の根来寺に…

西国三十三所巡礼②

西国三十三所の巡礼は十四番まで終わりました。 まとめて記事にします。 第一番 青岸渡寺 一番寺です。紀伊半島の南側なので、大阪から行くのが大変です。しかし観光地として楽しめる場所ですので、三十三所を始める最初の場所としていい所でした。 第二番 …

竹内街道歴史資料館

大阪の太子町にある竹内街道歴史資料館へ行ってきました。 竹内街道(たけのうちかいどう)は、奈良県葛城市の長尾神社と大阪府堺市の仁徳天皇陵あたりを結ぶ日本最古の街道です。 整備された時代は、推古天皇の7世紀。小野妹子らがた遣隋使として中国大陸へ…

第四十六・四十八代:孝謙・称徳天皇(こうけん・しょうとくてんのう)の高野陵(たかののみささぎ)

孝謙天皇(重祚後は称徳天皇)は、第46代及び第48代の天皇です。在位は749年から758年および764年から770年です。 父は聖武天皇、母は藤原氏出身で史上初めて人臣から皇后となった光明皇后(光明子)です。史上6人目の女性天皇で、天武系からの最後の天皇に…

西国三十三所巡礼①

9月に京都国立博物館へ行きました。旧館は立派な明治時代の建築で、重要文化財になってます。中に入れないのが残念です。 ちょうど西国三十三所関係の展示をやってました。今年は草創1300年だそうです。 西国三十三所 巡礼の旅 展示物は、西国三十三所のお寺…

第四十五代:聖武天皇(しょうむてんのう)の佐保山南陵(さほやまのみなみのみささぎ)

聖武天皇は、奈良時代の歴代天皇のうちベスト5に入る有名な天皇ですね。在位は724年から749年の25年間です。天平文化を築いた天皇です。 父親は文武天皇です。文武天皇が早逝し、聖武天皇は幼かったので、祖母(元明天皇)と叔母(元正天皇)が聖武天皇の即…

第四十四代:元正天皇(げんせいてんのう)の奈保山西陵(なほやまのにしのみささぎ)

元正天皇は第44代の天皇です。在位は715年から724年。次の聖武天皇が即位するまでの中継ぎとして即位した女性天皇です。 文武天皇が早くに亡くなったので、文武天皇の母が元明天皇として即位しました。文武天皇の皇子である聖武がまだ幼かったために、中継ぎ…

第四十三代:元明天皇(げんめいてんのう)のる奈保山東陵(なほやまのひがしのみささぎ)

元明天皇は女性天皇です。在位は707年から715年。 天智天皇の皇女で、夫は天武天皇と持統天皇の子の草壁皇子です。持統天皇は姉ですので、甥と結婚したことになります。草壁皇子との間に珂瑠皇子を生みました。草壁皇子は皇太子になりましたが早逝したので、…

天皇陵巡りは三分の一を終了

平成になって神武天皇からスタートした天皇陵巡り。コロナで中断していましたが、再開してから全歴代天皇の三分の一の42代の文武天皇陵まで終わりました。 天皇陵の場所についてのデータベースは宮内庁のホームページにあります。 https://www.kunaicho.go.j…

有馬皇子の墓

那智勝浦へ行った帰りに、有間皇子の墓に寄りました。 藤白神社の近くにありました。ちょっと場所がわかりにくかったです。 天皇陵とは違って、小さな公園の一角に石碑があるだけです。 花が添えられていました。 有馬皇子は孝徳天皇の皇子です。孝徳天皇は…

第四十二代:文武天皇(もんむてんのう)の檜隈安古岡上陵(桧隈安古岡上陵:ひのくまのあこのおかのえのみささぎ)

文武天皇は、第42代の天皇。在位は697年から707年です。 天武天皇と持統天皇の孫にあたり、若くして天皇になったようですが、在位は10年ほどで早逝しました。お祖母さんの後ろ盾で天皇になっただけで、あまりこれといった業績もないようですけど、平和な一生…

大津皇子の二上山墓(ふたかみやまのはか)

草壁皇子陵の記事をアップしてから、大津皇子陵も確認したくなりました。調べると二上山の山頂にあるということなので、行ってみました。 標高517mの山頂にあります。下の写真の赤いピンの場所です。 二上山を奈良側から見た写真です。大きい山が雄岳、小さ…

草壁皇子(岡宮天皇)の眞弓丘陵(まゆみのおかのみささぎ)

草壁皇子は、天武天皇と持統天皇の皇子です。そして文武天皇の親になります。早逝して即位はしていないのに岡宮天皇と称されているのは、文武天皇に正当性を与えるためだとされています。 草壁皇子には、大津皇子という異母兄弟がいました。大津皇子は父親の…

第四十代:天武天皇(てんむてんのう)、第四十一代:持統天皇(じとうてんのう)の檜隈大内陵(桧隈大内陵:ひのくまのおおうちのみささぎ)

天武天皇と持統天皇の陵は、宮内庁により明日香村にある檜隈大内陵(ひのくまのおおうちのみささぎ)に治定されてます。古代の天皇陵にしてはめずらしく確実らしいです。安心して拝礼できますね。 道路から見える小高い丘の上に拝礼所らしきものが見えます。…

第三十九代:弘文天皇(こうぶんてんのう)の長等山前陵(ながらのやまさきのみささぎ)

弘文天皇は大友皇子の天皇名です。 先代の天智天皇の崩御後に、大友皇子が即位しました。やがて叔父の大海人皇子が決起し、近江政権との戦争になります。政権側よりも大海人皇子を支援していた豪族の勢力が大きくて、大友皇子は自害しました。 ただ、弘文天…

第三十八代:天智天皇(てんぢてんのう)の山科陵(やましなのみささぎ)

天智天皇は舒明天皇の第二皇子です。母は皇極天皇(重祚して斉明天皇)です。 皇極天皇4年6月12日(西暦645年)に、中大兄皇子は中臣鎌足と、皇極天皇の御前で蘇我入鹿を暗殺します。乙巳の変です。入鹿の父の蘇我蝦夷は翌日自害します。 その翌日、皇極天皇…

第三十六代:孝徳天皇(こうとくてんのう)の大阪磯長陵(おおさかのしながのみささぎ)

孝徳天皇の陵墓は、太子町の竹内街道沿いにありました。 近くに推古天皇陵や用明天皇陵もあります。 この竹内街道は、飛鳥と難波を結ぶ重要な経路でした。竹内街道が通る二上山の大阪側と奈良側両方に古墳群がありますので、古墳時代から往来に使われていた…

蘇我入鹿の首塚と飛鳥寺

蘇我入鹿の首塚へ行きました。 飛鳥寺の西側の少し歩いたところにあります。 小さな石の塔です。 子供の頃に大化の改新で教えてもらった歴史では、蘇我入鹿が悪人で、中大兄皇子と中臣鎌足がそれを成敗した正義の味方という筋書きでしたが、今ではそんなイメ…

第三十五代・三十七代:皇極天皇(こうぎょくてんのう)・斉明天皇(さいめいてんのう)の越智崗上陵(おちのおかのえのみささぎ)

皇極天皇(こうぎょくてんのう)、重祚して斉明天皇(さいめいてんのう)の陵は、明日香村ではなく山ひとつ隔てた西隣の高取町にありました。 斉明天皇は舒明天皇の皇后で、天智天皇・間人皇女(孝徳天皇の皇后)・天武天皇の母親です。推古天皇から一代おい…

物部守屋の墓

物部氏は、天皇家と同じく、天孫降臨した由緒ある氏であった。もともとは兵器を製造する担当であったが、やがて有力な豪族へと成長した。敏達天皇、用明天皇の時代に、蘇我氏が仏教を国の宗教にしようとした時、物部守屋は反対し、やがて蘇我馬子、厩戸皇子…

第三十四代:舒明天皇(じょめいてんのう)の押坂内陵(おさかのうちのみささぎ)

先代の推古天皇陵は、大阪の太子町にありましたが、舒明天皇は飛鳥の近くに戻ります。場所は山と山に挟まれて谷となっているところです。天皇陵巡りをしていなかったら、こんな入り組んだ場所に来ることもなかったでしょう。 舒明天皇は、古人大兄皇子、天智…

第三十三代:推古天皇(すいこてんのう)の磯長山田陵(しながのやまだのみささぎ)

推古天皇陵は、奈良の飛鳥ではなく大阪の太子町にありました。奈良盆地と大阪湾を結ぶ竹内街道の近くになります。2020年の年始に行きました。 さすが歴代の天皇の中でも有名な推古天皇の墓です。立派な方形古墳です。周囲が田畑だけなので、存在感があります…

第三十二代:崇峻天皇(すしゅんてんのう)の倉梯岡陵(くらはしのおかのみささぎ)

奈良県桜井市にある崇峻天皇陵へ行ってみました。 ここは行くのに不便な場所です。車やバイクなら特に問題ありませんが、公共交通機関で行くのは面倒で、桜井駅から徒歩で45分もかかります。 そんな場所にあるせいか、実際に行ってみると、ここは訪れる人も…

第三十一代:用明天皇(ようめいてんのう)の河内磯長原陵(こうちのしながのはらのみささぎ)

用明天皇の陵墓は、太子町にありました。 用明天皇は聖徳太子の父です。 聖徳太子のお墓がある叡福寺は陵墓のすぐ近くにあります。 綺麗に区画され手入れされています。 上空写真の右端のバス停留所前にバイクを置きました。 (邪魔にはならないところです。…

第三十代:敏達天皇(びだつてんのう)の河内磯長中尾陵(こうちのしながのなかのおのみささぎ)

敏達天皇陵は、別名:河内磯長中尾陵(こうちのしながのなかのおのみささぎ)で、大阪府南河内郡太子町にあります。ちょっと不便な場所ですね。一番近いのは喜志駅。距離は歩いて45分くらいです。 少し北のほうに聖徳太子陵がある叡福寺があります。大阪府立…

第二十九代:欽明天皇(きんめいてんのう)の檜隈坂合陵(桧隈坂合陵:ひのくまのさかあいのみささぎ)

欽明天皇陵の別名は檜隈坂合陵(桧隈坂合陵:ひのくまのさかあいのみささぎ)、梅山古墳(平田梅山古墳)です。 こちらも濠に囲まれた前方後円墳です。 周囲に住宅はなく、のんびりとした環境ですね。 高松塚古墳が近くにあるせいか、外国人の観光客がたくさ…

第二十八代:宣化天皇(せんかてんのう)の身狭桃花鳥坂上陵(むさのつきさかのえのみささぎ)

宣化天皇陵へ行きました。 別名:身狭桃花鳥坂上陵(むさのつきさかのえのみささぎ)、鳥屋ミサンザイ古墳です。被葬者は明らかになっておらず、 宣化天皇陵として指定されています。わかりやすい場所にありますのですぐに見つかりました。 前方後円墳です。…

第二十七代:安閑天皇(あんかんてんのう)の古市高屋丘陵(ふるちのたかやのおかのみささぎ)

安閑天皇陵は古市古墳群の南端にあります。 古市古墳群は藤井寺と羽曳野市にまたがってありますが、道路事情が悪くて古墳巡りも楽ではありません。せっかく世界遺産に登録されても、これでは観光コンテンツにするのは難しいと思います。 私も今回天皇陵を順…

第二十六代:繼體天皇(けいたいてんのう)の三嶋藍野陵(みしまのあいののみささぎ:三島藍野陵)

継体天皇陵は茨木市にあります。こんなところに大きな前方後円墳があったとは知りませんでした。今まで古墳というものに関心が無かったので、地図を見ても目に入らなかったんですね。 近いのでさっそくバイクで行ってみました。拝礼所の周囲にはお金持ち風の…

第二十五代:武烈天皇(ぶれつてんのう)の傍丘磐坏丘北陵(かたおかのいわつきのおかのきたのみささぎ)

武烈天皇陵は香芝市ICを出たところにあります。 上空写真を見ると、香芝市は宅地開発されてニュータウン化したところが大部分を占めている感じがします。昔は田畑だったんでしょうね。天王寺から大和路快速で王子までが18分。私は北のほうにで住んでいます…