こばると歴史探訪ログ

関西の史跡や寺社を訪れた記録です

第六十二代: 村上天皇(むらかみてんのう)の村上陵(むらかみのみささぎ)

村上天皇の陵は、バイクでたまに走る周山街道162号線の京都盆地の出入り口近くにありました。

 

 

山の麓から、少し登ったところにあるようです。バイクを入り口に停めて歩きました。

 

拝礼所までの道は、石が綺麗に敷き詰められた緩やかな階段になっています。

 

村上天皇の在位は946年から967年です。

 

第60代醍醐天皇の第十四皇子です。母は藤原基経の娘中宮穏子で。第61代朱雀天皇の同母弟にあたります。

 

先代の朱雀天皇の時代は、平将門の乱、藤原純友の乱、富士山の噴火や地震・洪水など、乱や災害が多く、また病弱のため在位中には全く皇子女に恵まれませんでした。

 

いろいろ嫌なことが多過ぎたのでしょうか。944年に同母弟(後の村上天皇)を皇太弟として、2年後に譲位します。まだ朱雀上皇は24歳でした。譲位後に後悔して、復位の祈祷とかしたらしいです。

 

村上天皇の関白は、先代に続いて外叔父の藤原忠平が関白を務めましたが、忠平の死後は摂関を置きませんでした。

 

平将門と藤原純友の起こした承平天慶の乱の後は、朝廷の財政が逼迫していたので倹約に努めたとのことです。

 

文化人であり、歌壇の庇護、琴や琵琶などの楽器にも精通し、平安文化を開花させた天皇といえます。

 

村上天皇の和歌を調べていくつかピックアップしました。

 

逢ふことははつかにみえし月影のおぼろけにやはあはれとも思ふ

【通釈】あなたに逢ったことと言えば、二十日の月のようにほのかに見ただけだが、あんなぼんやりした月影のようにあなたのことを思っているだろうか、いや常ならず愛しく思っているのだ。

 

思へども猶あやしきは逢ふ事のなかりし昔なに思ひけん

【通釈】いくら思い巡らしても一層不思議でならないのは、あなたと逢うことのなかった昔、自分は何を思って過ごしていたのだろう、ということだ。あなたと逢うようになって以来、あなたのこと以外何も考えられなくなってしまったのだから。

 

天の原そこともしらぬ大空におぼつかなさをなげきつるかな

【通釈】この大空の下、あなたは今どこら辺にいるのか。よく分からないままに、空へ向かって長嘆息してしまったよ。

 

当時の高貴な人は、和歌で女性を口説いていたイメージがありますが、よくもまあ恥ずかしげもなくこんなチャラい歌を送っていたものです。でも知恵を絞って言葉を紡いで楽しむことが娯楽だったというのは、安上がりでエコでよいことですね。物質文明に浸りきった我々にとって、こういう文化を見直すことは必要かもしれません。