こばると歴史探訪ログ

関西の史跡や寺社を訪れた記録です

第五十三代:淳和天皇(じゅんなてんのう)の大原野西嶺上陵(おおはらののにしのみねのえのみささぎ)

淳和天皇は淳和天皇は桓武天皇の第七皇子。兄の平城天皇、嵯峨天皇に次いで即位しました。53代の天皇になります。在位は823年から833年の10年間です。

 

嵯峨天皇が即位したとき、平城天皇の嫡子が皇太子でした。平城天皇が復権を試みた薬師の変で、その子が廃太子になったとき、淳和天皇は皇太弟となりました。天皇になることは望んでいなかったとされています。その後、兄の嵯峨天皇から823年に譲位されました。30代後半のときです。

 

即位してからは、上皇の嵯峨天皇とともに平安京の文化を発展させました。833年に嵯峨天皇の息子の仁明天皇に譲位した後は、上皇となり840年に55歳で亡くなっています。譲位時に淳和天皇の子である恒貞親王は皇太子となりますが、後ろ盾がなかったため、淳和上皇は皇太子辞退を申し出ます。嵯峨上皇がそれを止めたといいます。

 

淳和上皇の不安は現実化し、淳和が亡くなり嵯峨上皇が病気になると、承和の変が起こり、恒貞親王は廃太子となって、藤原良房の孫が立太子されます。

 

平和主義であったと思われる淳和天皇陵は、京都府大原野という山の上にありました。

 

場所をグーグルマップで確認すると、御陵の近くまで府道141号線がありましたので、バイクで登ればいいと考えていたのですが、実際訪れてみるとそんなに簡単に行ける場所ではありませんでした。

 

山の麓から141号線を登りはじめると、車両は通行止めになっていました。

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予期しない状況に少し動揺しました。「道路法第46条による通行禁止」って何のことでしょう。調べてみると以下の通りでした。

 

「道路法第46条
1. 道路管理者は、左の各号の一に掲げる場合においては、道路の構造を保全し、又は交通の危険を防止するため、区間を定めて、道路の通行を禁止し、又は制限することができる。

一  道路の破損、欠壊その他の事由に因り交通が危険であると認められる場合
二  道路に関する工事のためやむを得ないと認められる場合」

 

ああ、道路が危険だから通行禁止ってことのようです。法律名をわざわざ書いているのは、「わしらの税金使って道路つくって、なんで通行止めにするんや!」と怒って電話をかけてくる人がいるからでしょうか。

 

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車は通れないので、歩いて登るしかありませんが、熊が出ると警告の表示があります。

 

スマホで地図を確認すると、通行止めの場所から淳和天皇陵まで5~6kmの距離があります。往復ではおよそ2~3時間はかかるでしょうか。おまけに熊。まだ午前中でしたが、この日はそんな時間と体力を使う覚悟をしていなかったので、引き返して帰るか、どうしようか、しばらく迷いました。

 

しばらく思案していると、上から歩いて降りてきた年配の登山者を見かけましたので、覚悟を決めました。諦めて引き返しても、いずれは登らなければいけない道です。今まで天皇陵を52箇所も回ってきたのだから、ここだけ飛ばすわけにはいきません。天皇陵制覇の野望のため、また在宅勤務でなまった体の運動にもちょうどよかろうと、気持ちを切り替えて登ることにしました。

 

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幸い道路は緩やかな登り道でした。アスファルトの道は破損しているところもなく、車もよく通っているようです。せっかく綺麗に舗装している道があるのに、バイクで登れば楽だったのに、と心の中でボヤキます。

 

そして、ゲートからそこそこ歩いたつもりなのに、「山上まで5キロ」の標識を見て気分が萎えそうになりました。

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杉林が続きます。昔は材木を切り出していた山だったのでしょう。少し汗ばむくらいの気温です。

 

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登っていくと山が開けて、見晴らしのいい場所がいくつかありました。京都市内が見渡せて眺めがよいです。

 

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破損した小屋が放置されてるのを発見。

 

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かなりの高度になってきました。後で調べると、陵のある場所の高度は642メートルでした。立派な登山です。すれ違う人も登山ファッション。私だけバイクウェア。

 

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最近スマートウォッチにインストールしたアプリで、目的地までの距離を時々確認します。到着時間は車での所要時間です。徒歩だと10倍くらいの時間なので、あと30分くらいか。

 

 

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山上にアンテナ塔が見えてきました。

 

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数機のアンテナ塔がありました。NTTや他の通信中継用の基地のようです。どうやら道路を車で通っていい人は、通信施設関係者だけのようです。天皇陵までの道にしては、税金使いすぎな道路じゃないか、と思ってましたが、アンテナ塔のために必要な道でした。

 

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やっと天皇陵まで到着しました。通行止めのゲートからの所要時間は1時間40分でした。陵墓の方へ向かいます。

 

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ここまで苦労して登ってきたというのもあり、また人気もないので、心なしか厳かな雰囲気が漂っていました。そしてこんな山の上にあるにもかかわらず、他の天皇陵と同じく落ち葉が掃き清められているのに驚きました。どれだけの頻度で清掃されているのでしょう。

 

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上皇になってから自身の意向により火葬され、その遺骨は近臣藤原吉野の手によって大原野の西山山頂付近で散骨されたと言われています。幕末に大原野西嶺上陵と称する陵が築かれ現在のような形に至ります。

 

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自然保護の看板がありました。

 

用事も終わったので山を下ります。登る時に道が遠回りしているように思えたので、もしかしたら近道があるのではと、山を下りながら探していると、登山道らしきものがありました。方角的にショートカットできそうなので、入っていきました。

 

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思ったよりも本格的な登山道でした。足場が悪いところも多いので、この山道を登れるのは登山に慣れた健脚の持ち主でないと無理でしょう。熊が出てこないかビクビクしながら下りました。

 

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山道は人がよく通っているようなので、このルートを使っている登山者は多いようです。あるいはボランティアの方が、頻繁に手入れをされているのかな。

 

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一度通った舗装路が見えてきたので、ほっとしました。

 

帰宅してから、Googleのタイムラインの記録をもとに、歩いた山道を確認しました。地図に書き込むと、以下の赤の点線になります。緑の点線は、看板があった金蔵寺へ向かう山道。金蔵寺からだともっと早く行けたのです。

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下りの時間は、天皇陵からバイクを停めた場所まで1時間。道が険しかったので時間がかかりました。

 

大津皇子陵を除いて、今まで行った天皇陵の中では一番体力をつかいました。ハイキングに近かったので、なんだか別の達成感がありました。