こばると歴史探訪ログ

関西の史跡や寺社を訪れた記録です

第四十九代:光仁天皇(こうにんてんのう)の田原東陵(たはらのひがしのみささぎ)

光仁天皇は第49代天皇です。在位は770年から781年までです。

 

60歳で即位。奈良時代の最後の天皇となります。奈良時代の末期は、政争が多く、多くの人が命を落としました。称徳天皇の世から粛清が続いたのです。光仁天皇は第7皇子である基親王(志貴皇子)の第6皇子という、天皇候補としては弱い立場でしたが、天武天皇系の血筋が粛清・暗殺により少なくなってしまったので、天皇になることができました。

 

光仁天皇は、用心深く政争に巻き込まれないよう、お酒に浸って暗愚で無害であることをアピールしたとか。結果的に長生きし、最終的に天皇になれたので作戦成功です。

 

しかし、即位した後も政争は続き、光仁天皇の皇后と皇太子が、天皇を呪詛したという事件も起きています。この時代は言葉に力があるというのが常識でしたので、ちょっと悪口を言ったぐらいで呪詛といわれたのでしょう。政治を意のままに操ろうとする藤原氏の策略であったとのもいわれています。ちなみに光仁天皇を即位させたのも藤原氏です。その皇后と皇太子は追放先で暗殺されました。

 

光仁天皇陵は奈良市の東の日笠東金坊線から少し外れたところにありました。183号線は奈良山中へのツーリング時に何度か走ったことがあります。


 

のんびりとした田園地帯の中にある丸い古墳が、天皇陵です。古墳名は田原塚ノ本古墳。しかしここである確証はないみたいです。

 

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光仁天皇は、あまり馴染みがないお名前ですが、平安京に遷都した桓武天皇の御父上というとわかりやすいですね。

 

光仁天皇陵の近くに春日宮天皇陵がありましたので、そちらにも行きました。

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春日宮天皇は、志貴皇子(しきのみこ)のことです。光仁天皇が即位したため、父親の志貴皇子が死後に追尊で天皇名がつきました。

 

志貴皇子は天智天皇の子供で、兄に弘文天皇(大友皇子)、姉は持統天皇(天武天皇后)、元明天皇(草壁皇子妃)がいるので、天皇になる資格はじゅうぶんありましたが、天武天皇時代は長く不遇の立場であったようです。

 

そのせいか春日宮天皇の陵墓はとても大きく、光仁天皇陵より立派でした。少し不思議に思いました。