こばると歴史探訪ログ

関西の史跡や寺社を訪れた記録です

2019-05-01から1ヶ月間の記事一覧

吉祥草寺

役行者の生誕の地とされる吉祥草寺に行ってきました。役行者ファンの自分としては一度は訪れないといかんなあ、と思っていたお寺です。 役行者(役小角)は、舒明天皇6年(634年)伝 に生まれて、大寶元年(701年)に亡くなった実在の人物。賀茂氏から出た氏…

第七代:孝霊天皇(こうれいてんのう)の片丘馬坂陵(かたおかのうまさかのみささぎ)

孝霊天皇(こうれいてんのう)は第七代天皇です。片丘馬坂陵(かたおかのうまさかのみささぎ)へ行ってみました。 奈良県道201号山陵王寺線(みささぎおうじせん)沿いに御陵の入り口はあります。今回は事前にGoogle Mapで予習をしていたので、拝礼所はすぐ…

第六代:孝安天皇(こうあんてんのう)の玉手丘上陵(たまてのおかのえのみささぎ)

第六代天皇である孝安天皇(こうあんてんのう)の玉手丘上陵(たまてのおかのえのみささぎ)に行きました。 葛城山麓にあった五代孝昭天皇陵から、飛鳥の方角へ1キロくらい、玉手という場所に孝安天皇の御陵はあります。 ここも行きにくかったです。県道116…

第五代:孝昭天皇(こうしょうてんのう)の掖上博多山上陵(わきのかみのはかたのやまのえのみささぎ)

孝昭天皇(こうしょうてんのう)は、第五代の天皇です。日本書記に「孝昭天皇を掖上博多山上陵に葬られた」とあり、この地が治定されたようです。 場所がわかりにくくて、拝礼所まで辿り着くのにかなり時間がかかりました。 この場所へわざわざ行く人は、か…

第四代:懿徳天皇(いとくてんのう)の畝傍山南纖沙溪上陵(うねびやまのみなみのまなごのたにのえのみささぎ)

第四代の懿徳天皇(いとくてんのう)も日本書紀では系譜の記載のみで、欠史八代の1人に数えられています。日本書紀に「畝傍山南纖沙溪上陵に葬られた」との記載があるため、畝傍山の南が陵として定められたようです。 安寧天皇陵から南のほうへ徒歩7~8分で…

第三代:安寧天皇(あんねいてんのう)の畝傍山西南御陰井上陵(うねびやまのひつじさるのみほどのいのえのみささぎ)

安寧天皇は、日本書紀と古事記では、系譜のみが記載されているので、実在性が疑われる欠史八代の1人に数えられています。日本書紀に、「畝傍山南御陰井上陵に葬られた」と書かれてあるので、幕末に畝傍山西南を陵として決めたようです。 畝傍山西南へは、綏…

兵庫県立考古博物館

最近、縄文人のことが気になって気になって。 関西で勉強できるところを探していたら、兵庫県立考古博物館がよいというので行ってきました。2007年にできた博物館です。存在知りませんでした。 ちょうど縄文土器展をやってました。 写真を撮ってもよい博物館…

第二代:綏靖天皇(すいぜいてんのう)の桃花鳥田丘上陵(つきだのおかのえのみささぎ)

第二代の天皇は、綏靖天皇です。「すいぜいてんのう」と読みます。恥ずかしながら私は読めませんでした。でもパソコンで「すいぜいてんのう」って入れると、一発で漢字変換できます。 綏靖天皇は古事記によると、神武天皇の三男です。神武天皇が亡くなった後…

農耕と戦争

キングダムのアニメを見ていて、いつの時代の話かなと、あらためて調べてみました。 秦の始皇帝が中国を統一するまでの話なので、秦の始皇帝が生まれたのは、紀元前259年、在位が紀元前246年(13歳のとき)、中国統一が紀元前221年(38歳のとき)、紀元前210…

初代:神武天皇(じんむてんのう)の畝傍山東北陵(うねびやまのうしとらのすみのみささぎ)

神武天皇は、言わずと知れた日本の初代天皇です。日本書紀と古事記によると、九州からやってきて、奈良盆地一帯の指導者であった長髄彦らを滅ぼし、一帯を征服して橿原に都をつくり日本国を建国したとされる伝承上の人物です。 即位は西暦紀元前660年とさ…

仁徳天皇陵などの古墳群が世界遺産に

ニュースによると、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関が、「百舌鳥・古市古墳群」を世界文化遺産に登録すべきだと勧告しました。次回開催のユネスコの世界遺産委員会で、登録が正式に決まる見込みなんだそうです。「百舌鳥・古市古墳群」は仁徳天…

はじめて橿原神宮へ行った件

平成最後の日に、奈良県の橿原神宮(かしはらじんぐう)へ行ってきました。元号が変わる最後の日ということで、普段よりも人が多い感じです。 と、知ったようなこと言ってますが、実を言うと橿原神宮に行ったのは初めてなのでした。橿原神宮は、明治政府が建…