こばると歴史探訪ログ

関西の史跡や寺社を訪れた記録です

神峯山寺と毘沙門天

高槻をふらふらとバイクで走っていて、途中休憩したカフェで地図を見ていたら、近くに神峯山寺というお寺があったので、寄ってみました。

 

 

新名神高速道路が名神と合流する高槻JCTの近くにあります。参拝者駐車場から高速道路が見えました。

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駐車場はバイクを停めるところがあって無料です。駐車場に境内の案内図がありました。境内までは5分ほど歩きます。

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風格のある門です。

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門には光仁天皇の名前が掲げられています。光仁天皇は桓武天皇の父親です。

 

お寺の歴史についてググってみました。

 

開祖は役小角だそうです。葛城山で修行をしていた時に、北方の山から黄金の光が発せられて霊感を受け、この地にやってきました。そこで金比羅飯綱大権現と出会って、霊木で毘沙門天を刻み、伽藍を建立して祀ったことがお寺の起源とされています。

 

役行者所縁なので、このあたりも修験者の霊場として栄えたそうな。

 

中興の祖は光仁天皇の子息で桓武天皇の庶兄にあたる開成皇子。勝尾寺から入山し、光仁天皇の命によって本堂を建立して住職となったようです。

 

でも少し不思議です。桓武天皇は、長岡京に784年に遷都しました。光仁天皇は781年に死去です。長岡京に都を移すときの周辺の環境を整えるため、このお寺も整備されたようですが、長岡京への遷都は、光仁天皇が計画していたということなんでしょうかね。

 

ちょっとこんがらがってきました。奈良時代の末期は仏寺が増長して、それを嫌って桓武天皇が遷都したと理解してましたが、その中で光仁天皇はどれくらいの影響力を持っていたのでしょうか。

 

私は歴史の人間関係と事実関係を並べて整理するのが苦手なので、頭を整理するためには、この時代を題材とした歴史小説を読まないと。

 

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神峯山寺には毘沙門天が祀られています。毘沙門天は、仏教における天部の仏神で、持国天、増長天、広目天と共に四天王の一尊に数えられる武神。多聞天ともいわれます。

 

「五穀豊穣、商売繁盛、家内安全、長命長寿、立身出世」といった、現世利益を授ける七福神の一柱として信仰されています。

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参拝した後でおみくじを引いてみました。久しぶりの大吉でした。

 

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おみくじの内容はお坊さんに解説していただきました。「人のために尽くしたら出世しますよ。」とのことでした。そんなこと言われると身が引き締まりますね。肝に銘じておきます。