こばると歴史探訪ログ

関西の史跡や寺社を訪れた記録です

空海の風景

2021年も今日で終わりです。

 

世間はコロナ禍が続いて大変な年でしたが、個人的には仕事もプライベートも穏やかに過ごさせていただき、どこか申し訳ない気がした一年でした。来年そのしっぺ返しが来ないよう、周囲への感謝の気持ちを持った一年にしたいと思います。

 

皆さまにとっても来年が良い年でありますように。

 

さて、年末紅白を見ずにブログなんぞを書いています。今回は空海の話です。

 

先日読んだ本で、四国にも硫化水銀の鉱脈があったという話を読み、もしかしたら空海の四国における伝承も、鉱脈探しと関係あるのではないのか、と思いつきました。昔のお坊さんは、博識でいろんな知識がありましたし、あちこちの山で修業したというのは、鉱脈を探していたのではないかと思ったのです。

 

それで少し空海について勉強するために、読みやすい本を探してみました。検索していたら司馬遼太郎の「空海の風景」が評価が高いようです。

 

司馬遼太郎は、小説の形をとりますが、史実をベースにした読み物を書く人なので、空海という人物を知るための入門としては良さそうです。さっそく上下巻の2冊を購入して読みました。

 

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いやはや大変面白かったです。空海の時代は平安朝の初期。桓武、平城、嵯峨天皇の時代です。ちょうど最近これらの天皇陵をまわって、歴史も勉強していましたので、時代背景もすっと頭に入り、楽しく読めました。

 

残念ながら、私が勝手に想像していた水銀鉱山と空海を結びつける話は全くありませんでしたが、空海という人物と密教についての理解が深まりました。

 

私は関西のお寺をたくさん訪問して、建築や仏像を見るのが好きではありますが、実は仏教の教義にはあまり興味がありません。デザインを仕事にしているというところから、宗教を支えている視覚的な仕掛けに興味があるのですが、教義という目で見えない概念については軽視していました。

 

しかし、歴史への影響、つまり当時の社会への影響面を理解しようと思うと、教義がどういう内容であったか、基本的な部分くらいは理解をしておかないといけません。宗教書を読む気にはなりませんが、こうした小説の形だとよいですね。空海が中国から持ち込んだ密教の教えが、なぜ影響力が絶大であったのか、少し理解することができました。

 

また、奈良から京都への遷都の政治的背景などについても、理解が深まりました。

 

それと、空海は若者のとき無名で、遣唐使に参加して帰ってきてから、宗教界で活躍する大物に変わっていくのですが、こうした社会的評価を得るまでの話は、オジサンになってから読むと、また別の味わいがあります。過去の出来事をベースにした創作なのに、どこかリアリティを感じるのは、自分が人生で経験したことを通じて、人間というものへの理解が深まったからでしょうか。

 

来年はもう少し密教について調べてみたいと思っています。