こばると歴史探訪ログ

関西の史跡や寺社を訪れた記録です

第六十三代:冷泉天皇(れいぜいてんのう)の櫻本陵(桜本陵:さくらもとのみささぎ)

冷泉天皇陵は、京都市左京区にありました。

 

場所は平安京内裏の真西方向、陽成天皇陵のさらに西側になります。

 

哲学の道が近くにあります。先代で父親の村上天皇陵や子供の花山天皇陵とずいぶんと離れた場所なので、なんでこっちなの?と不思議に思いました。

 

 

 

冷泉天皇は村上天皇の第2皇子です。母は藤原師輔の娘・中宮安子。次代の円融天皇の同母兄です。しかし在位は、18歳だった967年から969年までのたった2年間。

 

皇太子の頃から容姿は美しいが狂気のふるまいがありました。「奇行」が記録として残っています。

 

・足が傷つくのも全く構わず、一日中蹴鞠を続けた。

・幼い頃、父帝(村上天皇)に手紙の返事として、陰茎が大きく描かれた絵を送りつけた。

・清涼殿近くの番小屋の屋根の上に座り込んだ。

・病気で床に伏していた時、大声で歌っていた。

・退位後に住んでいた御所が火事になった折、避難するときに牛車の中で大声で歌った。

 

これがホントなら、だいぶヤバい子供ですね。即位式も何がおきてもいいように、万全の体制で行われたようです。普通は即位させないように、となると思いますが、頼りないほうが、周囲が好き勝手できると考えたのでしょうか。

 

即位しても、当然補佐が必要なので、関白が復活し藤原実頼が就任、左大臣に源高明(醍醐天皇皇子で村上天皇の弟、冷泉天皇の叔父)、右大臣には藤原師尹とサポート体制がつくられます。

 

冷泉天皇が即位した後には、次期天皇を早く決めておこうという話になります。

 

左大臣の源高明が推すのは、村上天皇の第四皇子(為平親王)。村上天皇にも可愛がられていたようです。そして高明の娘が嫁いでいます。また、右大臣の藤原師尹が推すのは、村上天皇第七皇子(守平親王)。こちらには藤原氏の娘が嫁いでいます。

 

結局、藤原氏の後ろ楯を多く受けて、皇太弟には守平親王が立ちますが、対立はやがて安和の変に発展、源高明は謀反に加担していたといわれ失脚、左遷されます。

 

冷泉天皇は円融天皇への譲位後、冷泉院と称され、62歳まで長生きしました。上皇生活は42年間。花山天皇をはじめとする皇子女や弟円融天皇、甥の一条天皇等多くの親族に先立たれました。

 

この時代を物語にするのなら源高明だろなあ、と思って源高明について調べたら、「源氏物語」の光源氏のモデルは源高明という説があるようです。

 

そういえば、2024年の大河ドラマの主人公は紫式部(役:吉高由里子)だそうですね。源氏物語自体より時代背景のほうに興味があるので、どういうドラマになるのか楽しみです。