こばると歴史探訪ログ

関西の史跡や寺社を訪れた記録です

第十九代:代允恭天皇(いんぎょうてんのう)の惠我長野北陵(えがのながののきたのみささぎ)

允恭天皇陵は百舌鳥古墳群ではなく、古市古墳群にあります。

 

こちらも前方後円墳の設計です。

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拝礼所を見つけるのは少し苦労しました。地図で場所はわかっているのですが、立ち入る場所がわかりません。拝礼所の周りは住宅があるのですが、どこにも入るところがありません。うろうろして、旧170号線沿いに入り口があるのを見つけました。

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170号線に駐車場があります。

 

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駐車場から拝礼所までの通路があります。

 

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濠には水がありませんでした。もともとは二重のお濠だったそうですが、外側の濠は埋められて住宅になったようです。

 

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完全に住宅で囲まれています。こちらも皇族の方はお参りには来られないでしょうね。

 

記紀の允恭天皇の話には衣通姫伝説があり、古事記ではお妃の妹、古事記では皇太子の妹で、どちらも悲しい恋愛の伝説になってます。衣通姫という名は、あまりにも美しいので、服を透き通ってその美しさがあふれ出たというところから。どれほど美しかったのでしょう。