こばると歴史探訪ログ

関西の史跡や寺社を訪れた記録です

第九代:開化天皇(かいかてんのう)の春日率川坂上陵(かすがのいざかわのさかのえのみささぎ)

欠史八代の最後の開化天皇(かいかてんのう)の陵墓は、奈良市内にあります。橿原からかなり離れています。日本書紀には、開化天皇が春日の率川宮(いさがわのみや)に都を移すと書かれてあり、天皇陵の南にある率川神社境内が宮跡にあたるとされています。

 

 

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奈良市の三条通りから歩きます。三条通りに開化天皇の陵墓があるということは、天皇陵巡りをし始めなければ、たぶん生涯記憶に留めることはなかったと思います。

 

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ホテルフジタを探します。右手の茶色のビルがそれですね。

 

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ビルとビルの間に通路があります。

 

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宮内庁のいつもの看板がありました。これがあると間違いないと安心します。

 

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砂利道を歩いて陵墓に向かいます。

 

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ちょっと今までと雰囲気が違います。鳥居が直接見えないのですね。木の扉で目隠しされています。

 

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腕を伸ばして上から撮りました。他の陵墓のデザインと同じです。

 

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ここの陵墓は街中にあって、人通りが多いので、直接は見えないようにしているようです。落ち着いて安眠できるようにという配慮からでしょうか。 

 

私は奈良公園に行く時は、車かバイクを使っていて、JR奈良駅を利用したことがないのですが、JR奈良駅から東大寺に向かって三条通りを歩くのが観光客のルートだと今日行って初めて知りました。外国人の観光客も多かったですね。休日は車も規制されていて、のんびりとした通りになっています。開化天皇陵は観光客は皆無でした。

 

この古墳は、念仏寺山古墳といわれ、西側外堤において出土した円筒埴輪片等から、5世紀前半(古墳時代中期)の築造と推定されているそうです。開化天皇とは時代があわないので、考古学者は誰も開化天皇陵だとは思っていないそうです。

 

天皇陵について調べると、歴史としておかしな話が多過ぎで、もはやファンタジーです。税金を使って、国家をあげて歴史ファンタジーを維持しているのですね。これからもずっと、こんなことを続けていいのかなあ、とちょっと疑問に感じました。