こばると歴史探訪ログ

関西の史跡や寺社を訪れた記録です

第十六代: 仁德天皇(にんとくてんのう)の百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)

令和になって橿原神宮へお参りしたことを契機に、神武天皇から順番に陵墓巡りをしています。やっと十六代の仁德天皇陵まで来ました。古墳には興味がありませんでしたが、ここだけは何度か来たことがありました。仁徳天皇陵は、日本で一番大きい誰でも知っている一番有名な古墳です。

 

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あらためてマップで確認すると、本当に大きな古墳です。礼拝所の前にいたボランティア説明員の人に、一周歩くと一時間弱かかると教えてもらいました。

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何度か来ていますが、お堀が二重になっていることを再発見しました。これは仁徳天皇陵の特徴です。

 

仁徳天皇の御陵というのは伝承です。確証がないため、学術的には大仙陵古墳といいます。古墳研究をされている考古学者は、古事記や日本書紀の文献は全く参考にせず、発掘により得られたデータと、中国や朝鮮の歴史文献から、古墳時代を分析するのが当たり前のようです。ですので、仁徳天皇陵というように天皇名で古墳を呼ぶことはされていなくて、大仙陵古墳といわないといけないようです。そういえば世界遺産のニュースでも言ってました。

 

大仙陵古墳は百舌鳥古墳群を代表する巨大古墳です。百舌鳥古墳群は上町台地に続く台地の上にあり、はるか昔は海岸線が近くて、大阪湾の船上から見えたようです。百舌鳥古墳群は100基以上の古墳が存在したようですが、戦後の宅地開発で多くの古墳が破壊されてしまったようです。現在は40数基ほど残っているようです。

 

天皇陵を巡りながら、縄文時代、弥生時代、古墳時代について、博物館や本などで勉強してきました。関西に住んでいながら、若い時から、あまり日本の古い時代には興味がなかったのですが、遺跡訪問をしながらだと歴史の勉強は楽しいですね。写真で見るより実物やレプリカを見るほうが何倍も面白いです。