孝昭天皇(こうしょうてんのう)は、第五代の天皇です。日本書記に「孝昭天皇を掖上博多山上陵に葬られた」とあり、この地が治定されたようです。
場所がわかりにくくて、拝礼所まで辿り着くのにかなり時間がかかりました。
この場所へわざわざ行く人は、かなりの歴史マニアだと思いますが、もしこの記事を読んで、行ってみようと思われる方がいらっしゃった場合のために、詳しく説明しておきます。
すぐに見つけられなかった理由は、GoogleMapの検索結果です。スマホで「孝昭天皇」と検索すると、上の地図のように丘の真ん中に、赤いポイントが出ます。これはこの場所に、陵墓の鳥居があることを示しているのではなく、この丘が陵であるということを示しています。いわゆる古墳の位置です。
宮内庁は、管理している天皇の古墳への一般人の立ち入りは禁止しています。一般人は陵墓の鳥居から参拝するのですが、参拝する礼拝所の位置は、GoogleMapに表示されないことがあります。
これは憲法二十条で、国家の宗教への関わりを禁止していることと何か関係があるのでしょうか。天皇陵は陵墓であって、参拝する対象の宗教施設ではない、ということからでしょうか。
孝昭天皇の陵墓の場合は、丘が古墳になっていて、鳥居は丘の南南東の道路に面したところ、上の写真のピンクの部分にありました。
場所がよくわからなかったので、私は168号線を青翔高校前で西に曲がり、坂を少し登ったところの左の駐車場へバイクを停めました。丘の中心部に表記があったので、この丘に登れば陵墓があるのかな、と思ったのです。
上の地図の赤いラインの抜け道を通って南側に回りましたが、拝礼所への道が見つかりません。しばらくうろうろして、ピンクの位置にある鳥居を見つけました。
鳥居エリアは道路に面していますが、少し高台の上にありますので、気づきにくかったですね。南側から回ればよかったのですが、隣にある駐車場は地元の歯医者さんの駐車場で、病院の利用者以外は停めるな、と書かれてありましたので、車で行かれる場合は、そばに駐車する場所はないと思ってください。
上り口があります。
陵墓の入り口。かなり住宅街の狭苦しいところにあります。
敷地は綺麗に手入れされています。
宮内庁の表示は共通仕様。
逆光で神々しい写真を撮りました。ニコンのD750と、レンズは、AI AF Zoom-Nikkor 24-85mm f/2.8-4D IFで撮りました。このレンズは中古で2万7千円で買ったのですが、最近こればかり使ってます。軽いしマクロもついてるし大活躍です。
鳥居を見つけるのに時間がかりましたが、見つかると、ささやかな達成感と喜びを感じました。見つけにくい御陵は宮内庁さんの粋な計らいでしょうか。有名でない天皇の、小さな陵墓を探すのも楽しいですね。そうやって現地でうろうろ探すのが嫌いな人は、事前にGoogleストリートビューでしっかり調べておくといいでしょう。
孝昭天皇も、古事記と日本書紀には系譜の記載のみ。したがって欠史八代の1人に数えられていて、実在していなかった天皇に分類されています。近くには孝昭天皇の霊を祀る孝昭天皇神社(孝昭宮)がありました。無人の神社でした。
私は、古代の天皇陵の指定は明治政府が頑張ったのだろうと思っていましたが、勘違いしていました。元禄時代に江戸幕府内で国学が生まれ、古事記や日本書紀の研究が盛んになったときに、陵墓を探して指定したようです。ただ、その時代は発掘や考古学による検証もされていなかったので、やや乱暴に決めたところもあったのではないでしょうか。
この近くの観光施設としては、1.5キロほど東に葛城山ロープウェイがあります。眺めが良くて気持のいい展望台がありますし、ハイキングコースとしてもおすすめです。私は金剛山へ登るより、こちらへ登るほうが好きですね。行かれたことのない方はぜひ登ってみてください。
葛城山ロープウェーの頂上から見た奈良盆地です。眺めも空気もいいです。