こばると歴史探訪ログ

関西の史跡や寺社を訪れた記録です

第四代:懿徳天皇(いとくてんのう)の畝傍山南纖沙溪上陵(うねびやまのみなみのまなごのたにのえのみささぎ)

 第四代の懿徳天皇(いとくてんのう)も日本書紀では系譜の記載のみで、欠史八代の1人に数えられています。日本書紀に「畝傍山南纖沙溪上陵に葬られた」との記載があるため、畝傍山の南が陵として定められたようです。

 

安寧天皇陵から南のほうへ徒歩7~8分です。同じ日に歩いて行きました。

 

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丘を背にしていますが、道路から陵墓の存在は見えます。近所の駐車場があって、庶民的な空間にありました。

 

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デザインは、他の御陵と共通です。

 

天皇家の権威づくりのために陵が整備されたのでしょうけれど、果たしてこの御陵に参拝する人はいるのでしょうかね。でも、私のように奈良探索で陵墓めぐりをする人は歴史好きの方はいるかもしれません。定年後の方とか。地図で探して実際に行ってみるのは楽しいですし、歩くのも健康的ですね。わかりにくい場所の陵墓に辿り着くと達成感もあります。

 

それぞれの御陵にスタンプがあればもっと楽しくなりそうです。しかし天皇陵ですから、そういう観光地っぽいことは宮内庁は絶対やらないでしょう。

 

懿徳天皇陵を訪れた後は、橿原神宮の西参道の入り口から入って深田池の横を通り、バイクを停めた場所に戻りました。

 

橿原神宮の外側を徒歩でほぼ一周しすると、1時間以上になりました。いい運動になりました。バイクで回るともっと時間が節約できたと、後から思いましたが、歩いたぶん橿原神宮周辺の土地勘もつきましたので、悪くはありませんでした。

 

陵の治定は「畝傍山」がキーワードになっています。畝傍山は「火がうねる」という意味があり、火山と認識されていたという話があります。には今回登っていませんが、それほど高くないので、次回機会があれば登ってみようと思います。