こばると歴史探訪ログ

関西の史跡や寺社を訪れた記録です

第六代:孝安天皇(こうあんてんのう)の玉手丘上陵(たまてのおかのえのみささぎ)

 第六代天皇である孝安天皇(こうあんてんのう)の玉手丘上陵(たまてのおかのえのみささぎ)に行きました。

 

葛城山麓にあった五代孝昭天皇陵から、飛鳥の方角へ1キロくらい、玉手という場所に孝安天皇の御陵はあります。

 

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ここも行きにくかったです。県道116号線から山の中腹に御陵がちらりと見えるので、あそこだな、と場所がわかるのですが、どうやって行けばいいのかは、わかりませんでした。満願寺の上にあるのは見えるのですが、満願寺に入っても案内が無いし、横の金比羅神社へ登ってみても道がありません。だいたいの場所はわかっているのに、辿り着けないもどかしさを感じます。

 

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正解は、陵墓の西北西に登り口があって、そちらから回ったほうがよいのです。ただグーグルマップでは農道にしか見えなかったので、万願寺から行くのがよいのだと思い込んでうろうろしていました。時間もなく日も暮れそうだったので別の日にあらためて出直しました。出かける前に調べておくべきですね。

 

 

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こちらが西北西側の登り口です。丘の北側に上り口があるとは盲点でした。
 

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御陵へと登る石段です。

 

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道も綺麗に石が敷き詰められています。

 

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なんだか場所に空気の澱みが感じられません。鳥と風の音が耳に心地よい場所です。

 

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開けた場所に御陵が見えました。南米の遺跡のようなデザインです。

 

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  丘の上から、奈良の村々を見下ろす場所に鎮座しています。

 

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それほどの高さはない丘ですが、このあたりには高速道路以外に高い建物がないので、見通しがよいです。

 

天気もよくて風が心地よい日でした。この場所は、すごくよい山の気が流れている感じがしますので、訪れた価値がありました。

 

日本書紀では「玉手丘上陵」、古事記では「玉手崗上」と所在が書いてあり、ここの古墳に御陵が定められましたが、やはり孝安天皇も実在性の乏しい欠史八代天皇とされています。

 

江戸時代の国学者は、古事記や日本書紀などの古典から、古代史を読み解いていましたが、現代の古代史を研究する学者は、遺跡や中国や朝鮮などの古い史料文献なども参考に、古代史を解き明かそうとしています。

 

現代の古代史の研究者で欠史八代天皇が実在したと主張している人はいないようです。ただ御陵に誰も眠っていないかといえば、そうではなく、誰かの古墳を御陵に指定しているので、ここに眠るのは古墳時代の豪族の一人なのでしょう。

 

日本書紀や古事記に書かれてある話は、何かの史実をもとにしてつくられていますので、この玉手という地にも、大和王朝に対して影響力のある人がいたのだろうと思います。