応神天皇(おうじんてんのう)は仲哀天皇の第四子で、仁徳天皇の父にあたる人。この天皇も実在性は明らかではありません。ここは誉田山古墳(こんだやまこふん)と呼ばれています。
ここも立派な前方後円墳です。前方後円墳といえば仁徳天皇陵という印象が強かったのですが、陵墓巡りをして、綺麗な前方後円墳がたくさんあることをあらためて知りました。
古市古墳群の中で、この古墳は羽曳野市にあります。
入り口から少し小道があります。
いい感じで御陵が見えてきます。
広くて綺麗な空間です。歴代のなかでも大きいですね。
隣接して宮内庁書陵部の事務所がありました。どんな仕事をされているのでしょうか。
古墳を歴代の天皇陵に指定したのは、今の宮内庁ではなくて、江戸時代の学者のようで、明治政府から今の形にこつこつと整備されました。私は大化の改新以前の陵墓指定は全く信じていません。古事記では100歳以上生きていた天皇もいるし、時代指定もあっていないし、前後も間違っているし、おかしいことだらけです。よくこんな出鱈目が許されているものだと、あきれます。でもいろいろ訪ねているうちに、天皇陵に指定されているおかげで、古墳が守られているという面があるということがわかりました。
住宅開発で消えてしまった古墳も多いようですが、天皇陵に指定されている限り、あと何百年たっても、日本人の子孫に遺跡をほぼ手付かずで渡していけるわけです。古墳はピラミッドと違って、土を盛り上げているだけですからね。
たぶん、天皇家に権限が集中する以前の別の有力者の古墳も、天皇陵に指定されちゃっているのではないかと思います。でも宮内庁が指定を解除し、考古学者が発掘して調べなおしたとしても、真実の埋葬者なんてわからないのだったら、今の指定でもとりあえずいいんじゃないの、とか無責任に思います。今の状況にモヤモヤしている学者さんは、たくさんいらっしゃると思います。