こばると歴史探訪ログ

関西の史跡や寺社を訪れた記録です

天皇陵

草壁皇子(岡宮天皇)の眞弓丘陵(まゆみのおかのみささぎ)

草壁皇子は、天武天皇と持統天皇の皇子です。そして文武天皇の親になります。早逝して即位はしていないのに岡宮天皇と称されているのは、文武天皇に正当性を与えるためだとされています。 草壁皇子には、大津皇子という異母兄弟がいました。大津皇子は父親の…

第四十代:天武天皇(てんむてんのう)、第四十一代:持統天皇(じとうてんのう)の檜隈大内陵(桧隈大内陵:ひのくまのおおうちのみささぎ)

天武天皇と持統天皇の陵は、宮内庁により明日香村にある檜隈大内陵(ひのくまのおおうちのみささぎ)に治定されてます。古代の天皇陵にしてはめずらしく確実らしいです。安心して拝礼できますね。 道路から見える小高い丘の上に拝礼所らしきものが見えます。…

第三十九代:弘文天皇(こうぶんてんのう)の長等山前陵(ながらのやまさきのみささぎ)

弘文天皇は大友皇子の天皇名です。 先代の天智天皇の崩御後に、大友皇子が即位しました。やがて叔父の大海人皇子が決起し、近江政権との戦争になります。政権側よりも大海人皇子を支援していた豪族の勢力が大きくて、大友皇子は自害しました。 ただ、弘文天…

第三十八代:天智天皇(てんぢてんのう)の山科陵(やましなのみささぎ)

天智天皇は舒明天皇の第二皇子です。母は皇極天皇(重祚して斉明天皇)です。 皇極天皇4年6月12日(西暦645年)に、中大兄皇子は中臣鎌足と、皇極天皇の御前で蘇我入鹿を暗殺します。乙巳の変です。入鹿の父の蘇我蝦夷は翌日自害します。 その翌日、皇極天皇…

第三十六代:孝徳天皇(こうとくてんのう)の大阪磯長陵(おおさかのしながのみささぎ)

孝徳天皇の陵墓は、太子町の竹内街道沿いにありました。 近くに推古天皇陵や用明天皇陵もあります。 この竹内街道は、飛鳥と難波を結ぶ重要な経路でした。竹内街道が通る二上山の大阪側と奈良側両方に古墳群がありますので、古墳時代から往来に使われていた…

第三十五代・三十七代:皇極天皇(こうぎょくてんのう)・斉明天皇(さいめいてんのう)の越智崗上陵(おちのおかのえのみささぎ)

皇極天皇(こうぎょくてんのう)、重祚して斉明天皇(さいめいてんのう)の陵は、明日香村ではなく山ひとつ隔てた西隣の高取町にありました。 斉明天皇は舒明天皇の皇后で、天智天皇・間人皇女(孝徳天皇の皇后)・天武天皇の母親です。推古天皇から一代おい…

第三十四代:舒明天皇(じょめいてんのう)の押坂内陵(おさかのうちのみささぎ)

先代の推古天皇陵は、大阪の太子町にありましたが、舒明天皇は飛鳥の近くに戻ります。場所は山と山に挟まれて谷となっているところです。天皇陵巡りをしていなかったら、こんな入り組んだ場所に来ることもなかったでしょう。 舒明天皇は、古人大兄皇子、天智…

第三十三代:推古天皇(すいこてんのう)の磯長山田陵(しながのやまだのみささぎ)

推古天皇陵は、奈良の飛鳥ではなく大阪の太子町にありました。奈良盆地と大阪湾を結ぶ竹内街道の近くになります。2020年の年始に行きました。 さすが歴代の天皇の中でも有名な推古天皇の墓です。立派な方形古墳です。周囲が田畑だけなので、存在感があります…

第三十二代:崇峻天皇(すしゅんてんのう)の倉梯岡陵(くらはしのおかのみささぎ)

奈良県桜井市にある崇峻天皇陵へ行ってみました。 ここは行くのに不便な場所です。車やバイクなら特に問題ありませんが、公共交通機関で行くのは面倒で、桜井駅から徒歩で45分もかかります。 そんな場所にあるせいか、実際に行ってみると、ここは訪れる人も…

第三十一代:用明天皇(ようめいてんのう)の河内磯長原陵(こうちのしながのはらのみささぎ)

用明天皇の陵墓は、太子町にありました。 用明天皇は聖徳太子の父です。 聖徳太子のお墓がある叡福寺は陵墓のすぐ近くにあります。 綺麗に区画され手入れされています。 上空写真の右端のバス停留所前にバイクを置きました。 (邪魔にはならないところです。…

第三十代:敏達天皇(びだつてんのう)の河内磯長中尾陵(こうちのしながのなかのおのみささぎ)

敏達天皇陵は、別名:河内磯長中尾陵(こうちのしながのなかのおのみささぎ)で、大阪府南河内郡太子町にあります。ちょっと不便な場所ですね。一番近いのは喜志駅。距離は歩いて45分くらいです。 少し北のほうに聖徳太子陵がある叡福寺があります。大阪府立…

第二十九代:欽明天皇(きんめいてんのう)の檜隈坂合陵(桧隈坂合陵:ひのくまのさかあいのみささぎ)

欽明天皇陵の別名は檜隈坂合陵(桧隈坂合陵:ひのくまのさかあいのみささぎ)、梅山古墳(平田梅山古墳)です。 こちらも濠に囲まれた前方後円墳です。 周囲に住宅はなく、のんびりとした環境ですね。 高松塚古墳が近くにあるせいか、外国人の観光客がたくさ…

第二十八代:宣化天皇(せんかてんのう)の身狭桃花鳥坂上陵(むさのつきさかのえのみささぎ)

宣化天皇陵へ行きました。 別名:身狭桃花鳥坂上陵(むさのつきさかのえのみささぎ)、鳥屋ミサンザイ古墳です。被葬者は明らかになっておらず、 宣化天皇陵として指定されています。わかりやすい場所にありますのですぐに見つかりました。 前方後円墳です。…

第二十七代:安閑天皇(あんかんてんのう)の古市高屋丘陵(ふるちのたかやのおかのみささぎ)

安閑天皇陵は古市古墳群の南端にあります。 古市古墳群は藤井寺と羽曳野市にまたがってありますが、道路事情が悪くて古墳巡りも楽ではありません。せっかく世界遺産に登録されても、これでは観光コンテンツにするのは難しいと思います。 私も今回天皇陵を順…

第二十六代:繼體天皇(けいたいてんのう)の三嶋藍野陵(みしまのあいののみささぎ:三島藍野陵)

継体天皇陵は茨木市にあります。こんなところに大きな前方後円墳があったとは知りませんでした。今まで古墳というものに関心が無かったので、地図を見ても目に入らなかったんですね。 近いのでさっそくバイクで行ってみました。拝礼所の周囲にはお金持ち風の…

第二十五代:武烈天皇(ぶれつてんのう)の傍丘磐坏丘北陵(かたおかのいわつきのおかのきたのみささぎ)

武烈天皇陵は香芝市ICを出たところにあります。 上空写真を見ると、香芝市は宅地開発されてニュータウン化したところが大部分を占めている感じがします。昔は田畑だったんでしょうね。天王寺から大和路快速で王子までが18分。私は北のほうにで住んでいます…

第二十四代:仁賢天皇(にんけんてんのう)の埴生坂本陵(はにゅうのさかもとのみささぎ)

仁賢天皇陵では古市古墳群に戻ります。 弟の顕宗天皇の御陵が香芝市にあるのに、なぜ仁賢天皇陵は古市なのか。天皇陵があちこちにあるのがどうも不思議です。どこかに解説されたものがあるかな。 弟の顕宗天皇と同じく、仁賢天皇の陵墓も周りの環境がよろし…

第二十三代:顯宗天皇(けんぞうてんのう)の傍丘磐坏丘南陵(かたおかのいわつきのおかのみなみのみささぎ)

顯宗天皇陵は奈良の香芝市にありました。 先帝の陵は古市でしたが、この帝は奈良です。天皇の古墳が奈良や大阪などを転々としているのは、都の場所や天皇の好みではなく、その天皇の支持勢力の地盤がどこにあったか、ということだろうと思っているのですが、…

白鳥陵(しらとりのみささぎ)古墳

白鳥陵(しらとりのみささぎ)は、ヤマトタケルの陵です。奈良県御所市富田と大阪府羽曳野市軽里(軽里大塚古墳)の2ヶ所に治定されています。清寧天皇陵(西浦白髪山古墳)に行ったときに近くにあったので寄ってみました。 拝礼所までの入り口は、駐車場の…

第二十二代:淸寧天皇(せいねいてんのう)の河内坂門原陵(こうちのさかどのはらのみささぎ)

清寧天皇陵は、古市古墳群の南のほうにありました。中規模の前方後円墳ですね。 古市の古墳は住宅地の中に分散していて、道路も細く駐車場もないため、観光に訪れる場所ではありません。もっとも観光に訪れたとしても、小高い木の茂った丘と宮内庁のつくった…

第二十一代:雄略天皇 (ゆうりゃくてんのう)の丹比高鷲原陵(たじひのたかわしのはらのみささぎ)

雄略天皇陵は古市古墳の北西にあります。 拝礼所は古墳の東側にありました。 この古墳の航空写真を見ると、少し変わった形をしています。前方後円墳を破壊されたような形です。円の部分は池に囲まれていて、四角い部分と離れています。記紀によると、仇討ち…

堺市博物館で仁徳天皇陵VRツアー

仁徳天皇陵へ行ったときに、大仙公園の堺市博物館に行ってみました。 仁 徳天皇陵の南側に大仙公園の入り口があります。 大仙公園の中にも古墳があるんですね。孫太夫山古墳です。 ぱっと見ただけでは、よくわかりませんが。。。 博物館は公園内の、入り口か…

第二十代:安康天皇(あんこうてんのう)の菅原伏見西陵(すがわらのふしみのにしのみささぎ)

安康天皇の陵墓は第二阪奈道路の奈良側出口の近くにあります。ちょっと入り組んだ場所にあるので、クルマで行く場合は少し大変かもしれません。バイクで行くと、細い路地でも安心して走れますので大丈夫でした。 古墳の形はわかりません。城郭であったという…

第十九代:代允恭天皇(いんぎょうてんのう)の惠我長野北陵(えがのながののきたのみささぎ)

允恭天皇陵は百舌鳥古墳群ではなく、古市古墳群にあります。 こちらも前方後円墳の設計です。 拝礼所を見つけるのは少し苦労しました。地図で場所はわかっているのですが、立ち入る場所がわかりません。拝礼所の周りは住宅があるのですが、どこにも入るとこ…

第十八代:反正天皇(はんぜいてんのう)の百舌鳥耳原北陵(もずのみみはらのきたのみささぎ)

仁徳天皇陵と履中天皇陵を訪れた日に、反正天皇陵にも行きました。反正天皇は仁徳天皇の子供で、履中天皇の弟です。履中天皇の後を継いで天皇になりました。歯並びがよくて容姿端麗であったことから、瑞歯別皇子と呼ばれていました。 きれいな前方後円墳です…

第十七代:履中天皇(りちゅうてんのう)の百舌鳥耳原南陵(もずのみみはらのみなみのみささぎ)

仁徳天皇陵に行ったときに、すぐ南にある履中天皇陵にも行きました。5世紀前半に実在した天皇といわれています。 きれいな前方後円墳です。 戦後の昭和三十年代は百舌鳥古墳群の天皇陵に指定されていない小さい古墳は、たくさん住宅にかわってしまったそうで…

第十六代: 仁德天皇(にんとくてんのう)の百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)

令和になって橿原神宮へお参りしたことを契機に、神武天皇から順番に陵墓巡りをしています。やっと十六代の仁德天皇陵まで来ました。古墳には興味がありませんでしたが、ここだけは何度か来たことがありました。仁徳天皇陵は、日本で一番大きい誰でも知って…

第十五代:応神天皇(おうじんてんのう)の惠我藻伏崗陵(恵我藻伏岡陵:えがのもふしのおかのみささぎ)

応神天皇(おうじんてんのう)は仲哀天皇の第四子で、仁徳天皇の父にあたる人。この天皇も実在性は明らかではありません。ここは誉田山古墳(こんだやまこふん)と呼ばれています。 ここも立派な前方後円墳です。前方後円墳といえば仁徳天皇陵という印象が強…

第十四代:仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の惠我長野西陵(恵我長野西陵:えがのながののにしのみささぎ)

仲哀天皇の陵墓に行ってきました。下道は道路が混むので高速で行きました。西名阪自動車道の藤井寺ICから降りてすぐです。 古市古墳群(ふるいちこふんぐん)の中にある岡ミサンザイ古墳が仲哀天皇陵とされています。 仲哀天皇は、十二代景行天皇の皇子であ…

第十四代天皇仲哀天皇の皇后:神功皇后の狹城盾列池上陵(さきのたたなみのいけのえのみささぎ)

神功皇后は仲哀天皇の奥さん。 神功皇后は明治時代までは第十五代天皇、初の女性天皇とされてましたが、大正15年の皇統譜により歴代天皇から外されたそうです。 神功皇后は、戦いの話が多いです。仲哀天皇の頃から朝鮮と戦争をしていて、仲哀天皇が亡くなっ…