こばると歴史探訪ログ

関西の史跡や寺社を訪れた記録です

第二十五代:武烈天皇(ぶれつてんのう)の傍丘磐坏丘北陵(かたおかのいわつきのおかのきたのみささぎ)

武烈天皇陵は香芝市ICを出たところにあります。

 

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上空写真を見ると、香芝市は宅地開発されてニュータウン化したところが大部分を占めている感じがします。昔は田畑だったんでしょうね。天王寺から大和路快速で王子までが18分。私は北のほうにで住んでいますが、こちらのほうだったら阪急沿線よりも一軒家が安く購入できそうです。

 

武烈天皇は仁賢天皇の子供で、実在性が疑われています。日本書紀では悪逆非道の天皇とされていて、以下の記述があります。


二年の秋九月に、孕婦の腹を割きて其の胎を観す。
三年の冬十月に、人の爪を解きて、芋を掘らしめたまう。
四年の夏四月に、人の頭髪を抜きて、梢に登らしめ、樹の本を切り倒し、昇れる者を落死すことを快としたまふ。
五年の夏六月に、人を塘の樋に伏せ入らしめ、外に流出づるを、三刃の矛を持ちて、刺殺すことを快としたまふ。
七年の春二月に、人を樹に昇らしめ、弓を以ちて射墜として咲いたまふ。
八年の春三月に、女をひたはだかにして、平板の上に坐ゑ、馬を牽きて前に就して遊牝せしむ。女の不浄を観るときに、湿へる者は殺し、湿はざる者は没めて官やつことし、此を以ちて楽としたまふ。

まるでローマ帝国のカリギュラのような天皇です。次の継体天皇の正当性を演出するために悪く書いているともいわれています。