こばると歴史探訪ログ

関西の史跡や寺社を訪れた記録です

第四十代:天武天皇(てんむてんのう)、第四十一代:持統天皇(じとうてんのう)の檜隈大内陵(桧隈大内陵:ひのくまのおおうちのみささぎ)

天武天皇と持統天皇の陵は、宮内庁により明日香村にある檜隈大内陵(ひのくまのおおうちのみささぎ)に治定されてます。古代の天皇陵にしてはめずらしく確実らしいです。安心して拝礼できますね。

 

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 道路から見える小高い丘の上に拝礼所らしきものが見えます。

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駐車場は開放されていますので、誰でも車を停められます。

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丘の上に向かって整備された石畳があります。

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植木も綺麗に整備されています。

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天武天皇が崩御した後に、奥さんの持統天皇が即位しました。死後は夫婦仲良くこの場所に合葬されています。夫婦で天皇という立場を務め、天皇を中心とする体制を強固にしたスーパーカップルです。

 

しかし奥さんの持統天皇は、天智天皇の娘ですから、大友皇子は弟なんですね。弟は夫に殺されていることになります。また、天武天皇の先の奥さんは、持統天皇の同母姉の大田皇女。持統天皇は姉が亡くなった後の後妻なんですね。いろいろ複雑な関係ですが、立場を正当化するために、天皇家の血筋が濃い者同士が結婚したのですね。まあ権力争いに敗れると死ぬ時代ですから、近親結婚というのも、当たり前の価値観だったのでしょう。

 

この二人を中心に、たくさんの歴史上の逸話が残されています。登場人物も多く、史跡も多いので、それらも回ってみたいと思っています。

 

天皇陵巡りをする前は、地図上に記載された天皇陵という存在に全く無関心でした。しかし実際に足を運んで、当時の歴史を振り返り、地理的な関係を確認したりするのは、なかなか楽しいものです。