こばると歴史探訪ログ

関西の史跡や寺社を訪れた記録です

第三十四代:舒明天皇(じょめいてんのう)の押坂内陵(おさかのうちのみささぎ)

先代の推古天皇陵は、大阪の太子町にありましたが、舒明天皇は飛鳥の近くに戻ります。場所は山と山に挟まれて谷となっているところです。天皇陵巡りをしていなかったら、こんな入り組んだ場所に来ることもなかったでしょう。

 

舒明天皇は、古人大兄皇子、天智天皇(中大兄皇子)、間人皇女、天武天皇(大海人皇子)の父親になります。在位は12年ほど。崩御した後は、皇后の宝姫王(皇極天皇)が即位しました。

 

 

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しかし場所に関係なく、施設としてしっかりと整備をされていました。暑い中行きましたので、汗だくになりました。

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駐車場は一般に開放されていて、すぐ目の前に拝礼所までの石段があります。

 

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真夏なので緑が濃い色をしていますね。今年はものすごく暑いです。

 

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汗をかきかき頑張って登りましょう。

 

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上まで登ると谷間からこのあたりの集落を見下ろせます。

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駐車場脇に谷の奥へと続く道がありました。

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歩いていくと別の陵があるということです。

 

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鏡王女とは、はじめ天智天皇の妃だったが、後に藤原鎌足の正妻となる人です。万葉集の歌で知られているのですね。そういえば、どこぞの小説で藤原鎌足が、「俺は女を押しつけられて結婚した」と愚痴を言っている場面がありました。しかしはやり、いろんな説があって、実在の人物像は不明瞭です。

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さらに奥に進むと、大伴皇女の陵がありました。

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こちらは宮内庁がしっかりと管理をしています。

 

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なんだか人家が見えず秘境的な感じ。やはり奈良の自然はよいですね。

 

と思ったら、遠くに見える白い看板のようなものが。せっかくいい景色なのに余計な建物だなあ。

 

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帰りに近くで確認したら桜井市グリーンパーク ゴミ焼却所でした。うーん。奈良はこういう景観を壊す建物多いです。