弘文天皇は大友皇子の天皇名です。
先代の天智天皇の崩御後に、大友皇子が即位しました。やがて叔父の大海人皇子が決起し、近江政権との戦争になります。政権側よりも大海人皇子を支援していた豪族の勢力が大きくて、大友皇子は自害しました。
ただ、弘文天皇という称号は、1870年(明治3年)につけられたもので、実際に天皇として即位したかどうかは、定かではないとのこと。天智天皇の崩御から大友皇子の自死まで半年なので、大海人皇子のクーデターというより、後継者争いといったほうがいいかもしれません。
弘文天皇陵は大津市の市役所の裏にありました。
グーグルマップで拝礼所が確認できるのですが、道から外れているので、どこから行ったらたらいいのか、よくわかりませんでしたので、とりあえず市役所の駐車場に車を停めました。駐車場は無料です。
駐車場から市役所の裏側に出れたらいいのだが・・・と思いながら行ってみると、石段がありました。
石段を登ると公園のほうに行けるようです。
先の方に拝礼所の入り口がありました。
いつもの宮内庁の注意書き看板がありました。意外とすぐにたどり着けたので拍子抜けしました。
市役所の建物が隣接しているので、ちょっと閉塞感のある場所になってます。
宮内庁によりこの長等山前陵(ながらのやまさきのみささぎ)に一応治定はされていますが、御陵とされる墳墓は、別に何箇所か伝承があります。まあ天皇の地位をめぐる争いに敗れた若い皇子が、立派な墳墓を用意してもらえるはずがないので、やはり別の場所なんでしょうね。
悲劇の皇子ということもあり、壬申の乱では亡くならず、逃げ落ちて別の場所で亡くなったという伝承があちらこちらにあるようです。
ちょっと行ってみようかと思いましたが、以下のように場所が多いので諦めてます。
弘文天皇の墳墓伝承の地:
①白山神社古墳 - 千葉県君津市俵田
②伝弘文天皇陵 - 神奈川県伊勢原市日向
③小針1号墳 - 愛知県岡崎市小針町
④大友皇子御陵 - 愛知県岡崎市東大友町
⑤自害峯の三本杉 - 岐阜県不破郡関ケ原町藤下
⑥鳴塚古墳 - 三重県伊賀市鳳凰寺
⑦膳所茶臼山古墳 - 滋賀県大津市秋葉台
⑧皇子山古墳 - 滋賀県大津市皇子山