孝徳天皇の陵墓は、太子町の竹内街道沿いにありました。
近くに推古天皇陵や用明天皇陵もあります。
この竹内街道は、飛鳥と難波を結ぶ重要な経路でした。竹内街道が通る二上山の大阪側と奈良側両方に古墳群がありますので、古墳時代から往来に使われていた道なのでしょう。
竹内街道は細い道で、地元の人でないと車での通行は大変です。私はバイクで行きました。駐車場は閉鎖されています。
駐車場から拝礼所に登る石段。
ちょっと体力が必要な坂道になっています。
なかなか拝礼所まで行きつきません。
石畳はきれいに敷き詰められています。
やっと拝礼所です。
珍しく一般人が拝礼所の正面に回れないようになっていました。
孝徳天皇は、乙巳の変の後に、皇極天皇から譲位されたので、蘇我入鹿暗殺の黒幕だったのでは、なんて仮説をたてている人がいますが、仏法を重んじ、蘇我氏系列を重用したといわれていますので、それはないと思います。
孝徳天皇は、史上初めて大化の元号を立て、様々な制度改革をしたとされています。そして難波宮を造営し、そこから朝鮮半島との関係性を強くした都としました。が、蘇我氏を排除して天皇家中心の体制をつくった中大兄皇子と折り合いが悪くなり、前天皇や大后たちが、飛鳥へ帰ってしまい、残されて病気にで亡くなったとのことです。なんだか寂しいお話ですね。