顯宗天皇陵は奈良の香芝市にありました。
先帝の陵は古市でしたが、この帝は奈良です。天皇の古墳が奈良や大阪などを転々としているのは、都の場所や天皇の好みではなく、その天皇の支持勢力の地盤がどこにあったか、ということだろうと思っているのですが、顯宗天皇の兄弟である次の仁賢天皇の御陵が、また古市に戻っているのが不思議です。陵墓の指定は、適当ではなく何かの文献があったからだと思うのですが。
小さいので古墳の形はよくわかりません。場所もあまりよいところではなく、国道に挟まれて、ずいぶんと騒がしい感じです。
顯宗天皇陵は、父が雄略天皇に殺されて、兄の仁賢天皇と一緒に逃亡し、播磨などで貧乏暮らしをしながら、ひっそり生きていたのですが、雄略天皇から清寧天皇に変わってから名乗り出たといいます。清寧天皇は子供がいなかったため、二人を後継ぎに指名し、弟が先に天皇になり、弟が亡くなって兄も天皇に即位しました。
お涙頂戴の美談になっているので、架空の人物とみられていましたが、実在するという学者さんの主張もあるようです。
近所に二上山博物館があるので、見学したかったのですが、この日は休館日でした。そのうちに行こうと思っています。