こばると歴史探訪ログ

関西の史跡や寺社を訪れた記録です

第二十三代:顯宗天皇(けんぞうてんのう)の傍丘磐坏丘南陵(かたおかのいわつきのおかのみなみのみささぎ)

顯宗天皇陵は奈良の香芝市にありました。

 

先帝の陵は古市でしたが、この帝は奈良です。天皇の古墳が奈良や大阪などを転々としているのは、都の場所や天皇の好みではなく、その天皇の支持勢力の地盤がどこにあったか、ということだろうと思っているのですが、顯宗天皇の兄弟である次の仁賢天皇の御陵が、また古市に戻っているのが不思議です。陵墓の指定は、適当ではなく何かの文献があったからだと思うのですが。

 

 

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小さいので古墳の形はよくわかりません。場所もあまりよいところではなく、国道に挟まれて、ずいぶんと騒がしい感じです。

 

顯宗天皇陵は、父が雄略天皇に殺されて、兄の仁賢天皇と一緒に逃亡し、播磨などで貧乏暮らしをしながら、ひっそり生きていたのですが、雄略天皇から清寧天皇に変わってから名乗り出たといいます。清寧天皇は子供がいなかったため、二人を後継ぎに指名し、弟が先に天皇になり、弟が亡くなって兄も天皇に即位しました。

 

お涙頂戴の美談になっているので、架空の人物とみられていましたが、実在するという学者さんの主張もあるようです。 

 

近所に二上山博物館があるので、見学したかったのですが、この日は休館日でした。そのうちに行こうと思っています。