皇極天皇(こうぎょくてんのう)、重祚して斉明天皇(さいめいてんのう)の陵は、明日香村ではなく山ひとつ隔てた西隣の高取町にありました。
斉明天皇は舒明天皇の皇后で、天智天皇・間人皇女(孝徳天皇の皇后)・天武天皇の母親です。推古天皇から一代おいての女性天皇です。
皇極天皇4年(西暦645年)に乙巳の変が起こりました。中大兄皇子らが宮中で蘇我入鹿を討ったのです。翌日に入鹿の父である蘇我蝦夷が自害し、長年王家に影響力を及ぼしていた蘇我氏は滅びました。その翌日に皇極天皇は同母弟の軽皇子(後の孝徳天皇)に大王位を譲りました。日本史上初の生前譲位とされます。
そして孝徳天皇が亡くなった後に再び即位。斉明天皇となります。
ひっそりと陵墓への入り口がありました。バイクを停めて石段を登りました。
結構な段数がありました。いい運動になります。
途中大田皇女の陵墓がありました。中大兄皇子(後の天智天皇)の娘で、大海人皇子(後の天武天皇)の第一の妃です。大津皇子の母になります。早くに亡くなりました。ちょっと寂しい陵墓です。
さらに登っていきます。
やっと斉明天皇の陵まで来ました。
孝徳天皇皇后の 間人皇女が合葬されています。天智天皇の皇子の建皇子の名前もあります。斉明天皇陵は別の場所の可能性もあるらしいのですが、伝記に基づいて合葬の記載になっています。
天智天皇・天武天皇の母で二回も天皇になった人にしては、陵が小規模な印象を受けました。実際の陵墓は山の中なので、規模がよくわかりませんが、周囲は石の柱が並んでいました。
この陵墓を訪れる人は少なそうですね。
重臣蘇我蝦夷や、野心家の中大兄皇子の言うことを聞いていた天皇というイメージが強いですね。リーダーシップを発揮する政治家ではありませんでしたが、家族思いの優しい人だったのではないでしょうか。