こばると歴史探訪ログ

関西の史跡や寺社を訪れた記録です

物部守屋の墓

物部氏は、天皇家と同じく、天孫降臨した由緒ある氏であった。もともとは兵器を製造する担当であったが、やがて有力な豪族へと成長した。敏達天皇、用明天皇の時代に、蘇我氏が仏教を国の宗教にしようとした時、物部守屋は反対し、やがて蘇我馬子、厩戸皇子に討たれてしまう。

 

闘いは最初の頃、物部氏が圧倒的に優勢であったが、厩戸皇子が四天王に祈願したことにより、逆転勝利したとの伝承がある。その後王子が感謝して四天王寺を造った。

 

その物部守屋の墓が八尾市の国道165号線にあるというので、確認しにいきました。

 

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ここはいくつかの神社がスポンサーとなって管理されているとか。明治時代からのものですので、守屋の墓といっても、ここに埋葬されているのではありません。仏教なんて入ってこなければ、日本は神教だけでしたから、神教にとって守屋は、敬う対象なのですね。

 

蘇我氏は物部守屋に勝利したことで増長し、乙巳の変で滅ぶまで、日本の政治に強い影響力を持ちました。歴史にifはないといわれますが、物部守屋が蘇我氏に勝利していれば、その後の日本の歴史は大きく変わったに違いありません。

 

ちなみに、この場所の近くに大聖勝軍寺があります。その山門前に「守屋池」という池があり、太子軍が物部守屋の首を洗った池と伝えられています。伝承にそのエピソードがありますが、かなり眉唾だと思っていますので行ってません。