こばると歴史探訪ログ

関西の史跡や寺社を訪れた記録です

第四十五代:聖武天皇(しょうむてんのう)の佐保山南陵(さほやまのみなみのみささぎ)

聖武天皇は、奈良時代の歴代天皇のうちベスト5に入る有名な天皇ですね。在位は724年から749年の25年間です。天平文化を築いた天皇です。

 

父親は文武天皇です。文武天皇が早逝し、聖武天皇は幼かったので、祖母(元明天皇)と叔母(元正天皇)が聖武天皇の即位まで中継ぎで天皇になりました。即位後も叔母さんがサポート。聖武天皇は仏教に強く傾倒し、奈良の大仏をつくりました。

 

母親は藤原不比等の娘。藤原鎌足のひ孫にもなります。不比等は天智天皇の落胤という説もあるそうです。藤原氏が影響力を強めています。

 

聖武天皇の政権初期は、高市皇子の子である長屋王が実権を握っていました。しかし不比等の子供たちである藤原四兄弟と聖武天皇によって自殺に追い込まれます。その後藤原四兄弟も天然痘で全員死ぬなどあって、仏教を信仰する聖武天皇は心を痛めたでしょう。

 

聖武天皇といえば奈良の大仏を連想する人も多いと思います。大仏をつくれと詔を出したのは742年ですが、大仏の開眼式は752年です。開眼式のときは譲位して天皇ではありませんでした。

 

最近大仏の金メッキについて書かれた本を読みました。水銀に金を溶け込ませたものをアマルガムといいますが、それを大仏の表面に塗布し、加熱して水銀を気化させるという方法です。作業には開眼式が終わってからも数年かかったそうで、水銀中毒も発生したとか。

 

奈良の大仏を見るたびに、国家事業として莫大な資金と労力と資金でつくった大仏は、当時の人をどれだけ圧倒しただろうかと思います。それを管理する仏教寺院が次第に偉そうになっていっていき、それが平安京遷都へとつながっていくのもなんとなく想像できます。奈良の大仏が奈良のシンボルになっていますが、大仏をつくらなければ、もっと長い間、奈良が都だったのではないでしょうか。日本の歴史もかわっていたかもしれません。

 

聖武天皇陵は奈良公園の北側数キロのところにあります。

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途中で道が別れていて、左が天皇、右が皇后の陵になっています。

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皇后陵にも行ってみました。

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立派な陵です。皇后陵は規模が小さいところが多いのですが、こちらは大きいですね。

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遺跡名は法蓮北畑古墳になります。佐保山南陵ともいいます。佐保山の北側には元明天皇陵、元正天皇陵があります。