こばると歴史探訪ログ

関西の史跡や寺社を訪れた記録です

第七十六代:近衛天皇(このえてんのう)の安樂壽院南陵(あんらくじゅいんのみなみのみささぎ)

近衛天皇の陵は、鳥羽上皇の陵のすぐ近くにありました。

このあたりは鳥羽離宮といわれ、鳥羽上皇が院政を敷いた場所です。

 


近衛天皇陵は多宝塔になっています。珍しい。今まで訪れてきた天皇陵にはありませんでした。調べてみると、歴代天皇陵では唯一であるとのことです。

 

近衛天皇は、数え三歳で天皇になりました。先代は崇徳天皇です。

 

崇徳天皇は、鳥羽上皇と藤原璋の間の子ということになっていましたが、白河法皇と璋子は密通していたという伝聞があります。鳥羽上皇は、自分の子ではなく祖父の子でないかと疑っていたかもしれません。

 

白河法皇が亡くなると、鳥羽上皇と藤原得子の間に生まれた子を天皇にしたいと考え、崇徳天皇に譲位をせまりました。

 

もちろん幼児ですから、鳥羽上皇は後見人として院政を敷きました。白河の院政をトレースしたかったのかもしれません。

 

しかし近衛天皇は、病弱であったため17歳で早逝します。子供は生まれていません。

 

鳥羽法皇は1139年に自らの墓所として安楽寿院の境内に三重塔を建てて遺言通りにそこに葬られました。得子さんの墓所も一緒につくっていたのですが、得子さんの遺言により高野山に葬られることになったので、かわりに近衛天皇が葬られました。

 

その三重塔は1596年に地震で崩壊してしまったので、豊臣秀頼の命により多宝塔として再建されたそうです。

 

近衛天皇の死後、後継天皇を決める議定が開かれて、崇徳上皇の皇子で美福門院の養子でもある重仁親王が有力でしたが、美福門院のもう一人の養子である守仁王(後の二条天皇)への中継ぎとして、その父の雅仁親王(後白河天皇)が即位することになりました。