ニュースによると、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関が、「百舌鳥・古市古墳群」を世界文化遺産に登録すべきだと勧告しました。次回開催のユネスコの世界遺産委員会で、登録が正式に決まる見込みなんだそうです。「百舌鳥・古市古墳群」は仁徳天皇陵古墳などを含む49基の古墳群です。
仁徳天皇陵は日本人なら誰しも知る、日本最大の前方後円墳です。宮内庁によって管理されていて、陵の中には入れません。
堺市は、ピラミッドと始皇帝陵よりもでかいよ!と宣伝しています。(以下堺市のホームページから転載)
世界文化遺産になると、知名度上がりますよね。観光資源の価値があがるということは大阪府にとっていいことでしょう。しかし古墳によっては、住宅街の中にあって、観光客を受け入れにくい場所もたくさんあります。人気が出て観光公害にならないか、住民の方は心配ですね。
仁徳天皇陵は、誰が埋葬されているのか学術的には明確でない、と言ってる学者さんもいらっしゃるようですが、まあピラミッドなどの遺跡もいろいろとわからないこともあるのですから、いいんじゃないでしょうか。
それよりも私が気になっているのは、宮内庁のホームページを見ると、天皇家の陵墓は1代目の神武天皇から124代目の昭和天皇まで陵墓が全て指定されているということ。
http://www.kunaicho.go.jp/ryobo/
1代目の神武天皇と15代の応神天皇は同一人物ではないか、2代の綏靖天皇から9代の開化天皇までは天皇家の起源の古さと権威を強調するために捏造したのではないか、という諸説があるくらいなのに、陵墓だけは明確になってるのはおかしいですよね。
歴史として認識されていて、学者からも異論があまりない天皇家の歴史は、大化の改新以降で、それまでの歴史は、天智天皇の弟の天武天皇時代に編纂され、藤原不比等が内容を天皇家に都合よく変えたという古事記や日本書紀くらいしか資料がないのです。それまでの正史は、乙巳の変で天智天皇が蘇我入鹿を暗殺し、蝦夷も自害したときに館と一緒に燃えてしまったとか。
それでも10代以降はいろいろ検証もなされているけど、2代から9代までは欠史八代といわれてますし、藤原不比等らの捏造の創作歴史であるなら、宮内庁の現在管理している陵墓はいったいなんなの?ということになり、歴史的な遺跡というよりも、神話的且つ宗教的な意味合いの場所といえるのです。
出雲にいっぱいある伝承の地と同じ系列のものになりますね。古い陵墓がどのようにして認定されたのかは知りませんが、学術的な根拠はなくて、伝承とか土地の言い伝えとか、曖昧な憶測かで場所と名前を決めちゃったんでしょう。だいたい明治時代に入るまでは、古代の天皇の墓なんて何処にあるのか、みんな無関心だったのに、明治政府の役人と御用学者が整備したんですよ。ヤマトタケルの陵墓まであるし。
私は、別にそれはそれでいいと思いますよ。本当かどうかわからない言い伝えの場所なんて、奈良にいっぱいあるんですから。歴史はファンタジー。真実はわからない、という前提だと伝えるのなら、それもいいのです。
でも憲法20条で、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」とあるのに、宮内庁が宗教施設を管理していて、いいのかなあ。天皇制の儀式も宗教だし、憲法20条の宗教の分離から逸脱しているのではないの?と思って調べてみたら、昭和52年の最高裁判決でこのような文が。
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政教分離規定は、いわゆる制度的保障の規定であつて、信教の自由そのものを直接保障するものではなく、国家と宗教との分離を制度として保障することにより、間接的に信教の自由の保障を確保しようとするものである。
政教分離規定の保障の対象となる国家と宗教との分離にもおのずから一定の限界があることを免れず、政教分離原則が現実の国家制度として具現される場合には、それぞれの国の社会的・文化的諸条件に照らし、国家は実際上宗教とある程度のかかわり合いをもたざるをえないことを前提としたうえで、そのかかわり合いが、信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で、いかなる場合にいかなる限度で許されないこととなるかが、問題とならざるをえないのである。
右のような見地から考えると、わが憲法の前記政教分離規定の基礎となり、その解釈の指導原理となる政教分離原則は、国家が宗教的に中立であることを要求するものではあるが、国家が宗教とのかかわり合いをもつことを全く許さないとするものではなく、宗教とのかかわり合いをもたらす行為の目的及び効果にかんがみ、そのかかわり合いが右の諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものと認められる場合にこれを許さないとするものであると解すべきである。
憲法20条3項は、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」と規定するが、ここにいう宗教的活動とは、前述の政教分離原則の意義に照らしてこれをみれば、およそ国及びその機関の活動で宗教とのかかわり合いをもつすべての行為を指すものではなく、そのかかわり合いが右にいう相当とされる限度を超えるものに限られるというべきであつて、当該行為の目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為をいうものと解すべきである。
ある行為が右にいう宗教的活動に該当するかどうかを検討するにあたつては、当該行為の主宰者が宗教家であるかどうか、その順序作法(式次第)が宗教の定める方式に則つたものであるかどうかなど、当該行為の外形的側面のみにとらわれることなく、当該行為の行われる場所、当該行為に対する一般人の宗教的評価、当該行為者が当該行為を行うについての意図、目的及び宗教的意識の有無、程度、当該行為の一般人に与える効果、影響等、諸般の事情を考慮し、社会通念に従つて、客観的に判断しなければならない。
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※元は縦書き文章なので、「右」を使ってます。
つまり憲法20条に書かれている「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」という文面は、国民の信教の自由のための条文で、国家が国民に強要するのでなければ、国家が神道や天皇制に関わるのを否定するものでない、ということ。でも天皇家の祭事は、明らかに宗教的な神事ですよね。
国民に、ここが天皇の陵墓です。信じなさい!お参りしなさい!と強制しなければ、税金を使って宗教施設の整備をしてもいいということらしいです。なるほどね。
まあそういう解釈もあるとは思いますが、憲法はアメリカに押し付けられたものだから、自分たちは都合よく解釈してもいいんだ、という気持ちが日本人のどこかにないかなあ。
しばらく前から、天皇陵巡りをしています。せっかく国家レベルで、名所の整備がされているのですから、墓陵を訪ね奈良を散策して、昔へ思いをはせながら古事記を勉強しよう、と思っています。
関西に住んでいるのですから、周囲の地形や土地の成り立ちなどを体験することで、歴史を身近に感じたいと思います。
ブログにもそのうちにアップしてきたいと思います。