安寧天皇は、日本書紀と古事記では、系譜のみが記載されているので、実在性が疑われる欠史八代の1人に数えられています。日本書紀に、「畝傍山南御陰井上陵に葬られた」と書かれてあるので、幕末に畝傍山西南を陵として決めたようです。
畝傍山西南へは、綏靖天皇陵から歩いて行きました。
予想していたよりも遠くて、徒歩30分以上はかかりました。こんなに歩いたのは久しぶりです。天気がよかったので汗だくになりました。途中に何か興味を引くものはないかな、と思って歩いたのですが、畑の作物以外目につくものはありませんでした。私は大阪市内のマンション暮らしなので、もしこのあたりに住んだら野菜を作れるな、などと思いながら歩いていました。やはりバイクに乗って移動すればよかったです。
Google Mapには安寧天皇陵と安寧天皇畝傍山西南御陰井上陵が表示されますが、西南御陰井上陵を目指すのがよいです。駐車場はありませんが、交通量は少ないので、短時間なら前の道路に車・バイクを停めても迷惑にはならないでしょう。道路から直接御陵が見えますので、場所はすぐにわかります。
綏靖天皇より、少し敷地が小さくなってました。同じくコンクリート、石材での柵が設けられています。デザインは同じです。後ろの丘が陵墓です。
ここも清掃は綺麗にされています。ご近所の方がされているのでしょうか。橿原神宮周りの散策スポットのひとつです。