第二代の天皇は、綏靖天皇です。「すいぜいてんのう」と読みます。恥ずかしながら私は読めませんでした。でもパソコンで「すいぜいてんのう」って入れると、一発で漢字変換できます。
綏靖天皇は古事記によると、神武天皇の三男です。神武天皇が亡くなった後、王になりたい長男が、邪魔な弟たちを殺害しようとしました。事前に長男の意図を察知した次男と三男が、長男の寝所に忍び込んで弓矢で射て殺してしまいます。その時長男を殺す担当だった次男が、ビビってしまって、代わりに三男が実行したため、それを恥とした次男が三男へ天皇を譲ったとか。
神武天皇陵が素晴らしかったので、綏靖天皇陵にも行ってみることにしました。桃花鳥田丘上陵(つきだのおかのえのみささぎ)といいます。今の神武天皇陵が出来る前はこちらの場所が神武天皇陵とされていたんですね。幕末に綏靖天皇陵と改められました。
綏靖天皇の陵墓は、神武天皇陵の北側すぐ近くにあります。
神武天皇陵に行かれたら、あわせてこちらに行くのがよいですね。
綏靖天皇は欠史八代の一人です。欠史八代とは実在しなかったのでは?といわれている天皇たち。そんな存在なので綏靖天皇だけを目的として陵墓を訪れる人もいないでしょう。しかしながら、神武天皇陵より規模は小さいながらも、こちらの陵墓も立派です。
橿原神宮の前の通り161号線に面して、陵墓の入り口があります。神武天皇陵と同じく綺麗に清掃されています。
通りからは直接陵墓を見ることはできません。
通りからずっと奥まで歩いて、右に曲がると写真のように陵墓が遠くに見えます。
神武天皇陵と同じく、緑を背に同じ意匠の門が二重に設けられています。内側は立ち入り禁止区域です。
垂涎天皇陵と示す、宮内庁の表示があります。
「垂涎天皇陵
桃花島田丘上陵
一、みだりに域内に立ち入らぬこと
一、魚鳥等を取らぬこと
一、竹木等と切らぬこと
宮内庁」
文面はどこの陵も同じです。石台に屋根付きの木に墨で書かれた看板は、他の陵と共通デザイン。
こちらの陵も綺麗にされていますが、神武天皇墓と異なるところがあります。
デザインはシンプルで共通性がありますが、使用している材料が違います。神武天皇陵は木材で作られた柵と鳥居でしたが、こちらの陵墓は石材の門と鉄材を組み合わせています。
木材は交換する必要があるので、神武天皇陵のほうがメンテンナンスコストをかけています。また鳥居の形が、一般的な神社のものとは異なりますね。上側の横棒の断面は四角ではなく丸になっています。神武天皇陵の丸太で作った鳥居と同じ形状です。一般的な神社は角材です。
分類としては素木鳥居というデザイン。でもコンクリートで出来ていますので、厳密には素木鳥居とはいえないか。
南北朝時代の編とされる神道集によると、綏靖天皇には食人の趣味があり朝夕に7人もの人々を食べて周囲を恐怖に陥れたとか。実在性も疑われてますので、あまり深く調べる気になりません。