こばると歴史探訪ログ

関西の史跡や寺社を訪れた記録です

竹林寺

狭山池へ行ってから、行基さんの本を二冊ほど買って勉強しました。時代背景や行基の人物を知りたいと思ったからです。

 

せっかくなので、お墓へもお参りしようということで、生駒山の麓にある竹林寺を訪れてみました。

大阪側の石切から奈良へ向かって、生駒山の下の第二阪奈有料道路のトンネルを抜けたところに竹林寺はあります。南側の住宅地にあるお寺の入り口を探しましたが、少々わかりにくかったです。小さな駐車場から参道があり、ゆるい坂道を登ると境内がありました。

 

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境内右手に行基さんのお墓があります。行基の業績からすると、もっと立派なお墓だと思っていましたが、予想よりも小さかったですね。奈良の大仏の大きさや、天武天皇陵の立派さに比べると、ほんとうにささやかなお墓です。

 

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境内はきれいに掃き清められ、小さなお寺ではありますが、手入れをされている人のお人柄を感じました。行基像は奈良駅前にもあり、奈良県民に尊敬されています。このお寺も地元の人にも愛されているのだろうな、と思いました。

 

行基が民衆の救済をする僧になったのは、師である道昭の影響であるとされています。道昭もなかなか興味深い人物で、遣唐使に同行して唐に渡り、あの西遊記で有名な玄奘三蔵法師に師事したとのこと。そして道昭の父親は船恵尺であり、乙巳の変で蘇我蝦夷が自害したときにその場所にいた人物らしい。建物が焼失する前に、国記を持ち出し、中大兄皇子に献上したとか。船恵尺も蘇我氏も渡来人だったのかな。国記は日本書紀のネタ元になったと思われます。蘇我蝦夷が書き残そうとした歴史はどんなものだったのでしょう。

 

いろいろ人物がつながっていて、飛鳥時代から奈良時代の歴史物語は面白いですね。史実が曖昧であればあるほど、想像力が刺激されます。