こばると歴史探訪ログ

関西の史跡や寺社を訪れた記録です

第七十三代:堀河天皇(ほりかわてんのう)の後圓教寺陵(のちのえんきょうじのみささぎ)

第七十三代の堀河天皇の陵は、龍安寺北西にある一条天皇陵と同じ場所です。

 

 

堀河天皇は先代の白河天皇の第三皇子です。母は藤原賢子。

 

在位は1087年から 1107年までの20年間だそうです。思っていたより長い年数なので驚きました。父の白河天皇から譲位され即位したのは8歳なので、28歳までですね。

 

若年であったため、即位に伴い、義理の外祖父にあたる関白藤原師実が、摂政となり実権を握りました。

 

堀河天皇が成人したら、関白は上皇と仲の悪い藤原師通に代わりましたが、師通が働き盛りの年齢で急死すると、次の藤原忠実は若かったため、堀河天皇を補佐するに足りませんでした。天皇は白河法皇に政務を相談せざるを得なかったので、法皇の政治力が拡大し、摂関家の藤原氏にも強い影響力を持ち続け、結果として白河法皇の院政が成立しました。

 

堀河天皇は「末代の賢王」(『続古事談』)と評される賢帝として知られ、性格は上品かつ優雅であり、その誠実な人柄は宮廷社会でも人望を集めたといわれてます。和歌にも優れ、なかなかの文化人であったようです。

 

一条天皇は堀河天皇の曾祖父。幼くして天皇になり、長年天皇の地位にあったという人生が堀河天皇と似ています。陵が一条天皇と同じ場所であるのは、堀河天皇の人格故か、それとも白河院政のもとで、権力がなかったせいか、どちらなんでしょうね。