こばると歴史探訪ログ

関西の史跡や寺社を訪れた記録です

第六十九代:後朱雀天皇(ごすざくてんのう)の圓乘寺陵(えんじょうじのみささぎ)

後朱雀天皇の陵は、また龍安寺に戻ります。

龍安寺の石庭がある建物の北側に、右から御朱雀天皇陵、御冷泉天皇陵、後三條天皇陵の三陵が並んでいます。右端が御朱雀天皇陵です。

 

後朱雀天皇は1036年に28歳で即位し、1045年に37歳で亡くなりました。

 

後朱雀天皇は、一条天皇の第三皇子になります。母は藤原道長の娘の彰子。先代の後一条天皇の同母弟になります。後一条天皇の即位に伴い皇太子(皇太弟)となりました。

 

即位する前に、藤原道長の六女で後朱雀天皇の叔母にあたる藤原嬉子が入内し、第一王子(後の後冷泉天皇)を産みますが、嬉子はその2日後に急逝。それから道長の外孫で、従姉妹にあたる禎子が入内して、第二王子(後三条天皇)を産みます。

 

後朱雀天皇陵に並んでいる、御冷泉と後三條は、後朱雀天皇陵の子ですね。

 

兄の後一条天皇には、皇子がいなかったので、後朱雀天皇の後は子供に譲位する流れになったのです。

 

この頃から、天皇の名前によく「後」がつくようになってきました。一条天皇の子供が後一条天皇くらいでしたら、英語でいうジュニアみたいなものでわかりやすいのですが、後朱雀、後冷泉、後三条はそうではないので、ややこしくて覚えられません。また一条、二条、三条というのも順番通りではないし。戦前の教育を受けた人は、全ての天皇名を暗記させられたといいますから、大変だったでしょうね。

 

それとあいかわらず藤原氏の女性ばかりが目立ちます。ほんとに藤原氏はやりたい放題。荘園問題も増えて、国家財政も次第におかしくなっていく時代です。不満をもった武士が次第に増えてくるのも納得です。