こばると歴史探訪ログ

関西の史跡や寺社を訪れた記録です

第七十四代:鳥羽天皇(とばてんのう)の安樂壽院陵(あんらくじゅいんのみささぎ)

鳥羽天皇の御陵は、白河天皇御陵の近く、第二京阪の高速高架を跨いだ側にありました。

高速道路から少し離れていて、車の通りも少ない少し落ち着いた場所になっています。

宮内庁の看板に「魚や鳥を取るな」と書いていますが、街なかの古墳でもない御陵で、そんな人はいませんね。

 

瓦屋根のついた小さな建物が奥に見えます。

 

鳥羽天皇は、先代である堀河天皇の皇子です。

 

生後間もなく母の苡子が没し、祖父の白河法皇に引き取られ育てられました。誕生から7か月で立太子され、1107年に父の堀河天皇が亡くなったため、なんと5歳で即位しました。

 

もちろん政務なんて行えませんから、おじいちゃんの白河法皇が代わりに政治を行いました。

 

即位してから16年後の1123年、第一皇子の崇徳天皇に譲位しました。その後の実権も白河法皇が握り続けました。

 

つまり鳥羽天皇の治世において、白河院政という形が本格化したということですね。

 

そして鳥羽天皇も、白河法皇崩御の後、大治4年(1129年)より院政を敷きます。子の崇徳天皇、近衛天皇、後白河天皇の3代、28年にわたり権力を握るのです。

 

自分に権力を集める方法は、おじいちゃんの白河法皇に似ています。おじいちゃんを見て学んだのでしょう。

 

 

今は埋め立てられて跡形もありませんが、このあたりには鳥羽離宮がありました。水辺に鳥羽上皇の住居や寺院が立ち並び、京都の南の雅な場所であったようです。