こばると歴史探訪ログ

関西の史跡や寺社を訪れた記録です

第七十二代:白河天皇(しらかわてんのう)の成菩提院陵(じょうぼだいいんのみささぎ)

しばらくご無沙汰していた天皇陵参拝を再開しました。

 

72代の白河天皇の陵からです。

 

 

白河天皇陵は京都南ICの近くにあります。高速を降りて、このあたりかなと探していたらラブホがたくさんありました。白河天皇にはなんとなく好色なイメージがあったので、なるほどなるほどと納得しながら陵を探しました。

 

陵は高速道路の高架の横の、交通量が多いところにありました。

 


車のうるさい場所ですが、綺麗に整備されていました。

白河天皇の在位は1073年から1087年です。在位は短いのですが、上皇となってから権力を得て、43年間にわたり院政を敷きました。

 

私の過去天皇のイメージは、大河ドラマの影響がほとんどで、白河法皇は平清盛のドラマのイメージが強いですね。伊東四朗さんが不気味な感じの演技をしてましたね。

 

Wikipediaからの知識ですが、白河天皇が権力を握れた理由は次の通りのようです。

 

1.藤原氏の血筋である。

2.摂関政治をしていた鬱陶しい親戚筋(藤原のなにがし)が亡くなった。

3.息子の堀河天皇に譲位したが早くに崩御した。

4.その皇子で白河法皇の孫である第74代鳥羽天皇が即位したので後見人として影響力が増した。

5.自分の邪魔になりそうな親戚筋を出家させていった。

 

20歳で即位し、34歳で譲位、77歳まで院政です。やりたい放題できたのではないでしょうか。

 

Wikipedaには、白河法皇は両性愛者と書いてありました。しかし延暦寺にだけは悩まされたようです。