こばると歴史探訪ログ

関西の史跡や寺社を訪れた記録です

弘川寺

2月のはじめごろ、西行のお墓を訪ねて弘川寺へ行きました。

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葛城山の西側、南河内郡の山の麓にあります。ワールド牧場が近くにありました。最近このあたりばかりうろうろしていますね。

 

 

まだ寒いのに梅がちらほらと咲いていました。

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390年も続いた平安時代は、平安の文化を醸成しました。西行はその平安時代末期の歌人です。百人一首の86番は、彼の歌。

 

嘆けとて 月やは物を 思はする かこち顔なる わが涙かな

 

嘆き悲しめと月はわたしに物思いをさせるんやろか。 いや、ちゃうやろ。ほんまは恋の悩みのせいやのに、まるで月のせいであるかのように流れるわいの涙やん。

 

西行は身分の高い人の住居の警備員をしていましたが、23歳のときに仕事も家も放り出して出家しました。各地を放浪して、歌をつくり、上の歌は警備員をしていたときに身分の違う人を好きにことを思い出してつくった歌とされています。

 

この時代の上層階級のコミュニケーション、知的娯楽の中で和歌は重要なものであったのでしょう。人を感心、感動させる和歌をたくさんつくった西行法師はとても尊敬されたのです。生き方も多くの人が憧れる自由人だったので、後世にも強い影響を与えました。今でいうといい曲をつくったアーティスト的な人ですね。

 

私が面白いと思った西行のエピソードは、野原にあった死人の体をバラバラにしてつなぎあわせて、蘇生した話。まさにフランケンシュタイン的なこともやったとか。出来が悪かったので捨てちゃったと伝承されている。

 

大学受験では日本史か世界史どちらかを選択しないといけなくて、私は世界史を選択しました。日本史のほうが覚えることが少ないので、試験の点数は稼ぎやすいのですが、日本という小国の歴史を覚えても、将来役に立つとは思えなかったのです。同様に古文なども勉強する気が起こらず、こんな古臭いものを勉強するのは、時間の無駄だと思っていました。

 

日本の歴史にだんだんと興味を持つようになったのは、関西に引っ越してきてから、バイクや車であちこち見て回るようになってからです。関西の歴史的な場所を自分で訪れて、その地形や建築物や、出土物を実際に見ると、自分の目で見たものと、本で読んだ知識が組合わさって、古い時代の人々の生活や文化などが想像できて楽しめるようになったのです。生活や仕事の上での役には立ちませんが、我々日本人の文化のルーツであり、今をつくった構成要素としても、古いものを知っておくというのは良いことだと思います。

 

ただ、学生時代の無関心さから、私の日本史に関する知識は、ところどころ抜けた部分があったり、思い違いしていたことがあったりして、あらためて歴史を学びなおすと、そうだったのかと感心し、なんとなく知ってたことが明瞭になって、知的な喜びを感じることが多いです。そして歴史は古くなればなるほど、真実はわからないことが多く、いろいろな説があって、推理も楽しむことができます。

 

歴史を楽しむのは、関西に住むひとつのメリットだと思います。