こばると歴史探訪ログ

関西の史跡や寺社を訪れた記録です

葛城一言主神社の蜘蛛塚と神武天皇

葛城山の麓の一言主神社の境内へと進む道に蜘蛛塚と書かれた立札があります。

 

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蜘蛛塚とは、神武天皇が退治した土蜘蛛を、怨念が復活しないように、頭と胴体と脚を別々に埋めたところだと言われています。

 

このあたりに住んでいた王家に恭順しない地元民を、土蜘蛛と蔑称で呼んでいたそうな。

 

土蜘蛛とは縄文人のことだと思うのですが、葛城山に山穴をつくって住んで、手足が長くて、身なりも汚かったのでしょう。土蜘蛛たちを退治するために、葛で編んだ網で捕まえたところから葛城山という名前がついたそうです。

 

古事記に登場し、神武天皇の東征に逆らい続けたとされる長髄彦(ながすねひこ)も手足が長かったのでしょう。

 

この場所の北東10キロくらいのところに、橿原神宮、神武天皇陵があります。

 

神武天皇は初代の天皇で、伝説上の人物とされています。橿原神宮や神武天皇陵は近世に造られたものであり、昔からずっとあったわけではないので、私にとっては信憑性がありません。お参りしたこともありません。

 

しかし平成が終わるということで、天皇陛下が橿原神宮や伊勢神宮にお参りされていたので、一応は初代天皇の陵ということで認定されているのでしょう。

 

蜘蛛塚の存在は、神武天皇はほんとうに血の気が多かったということ。自分に従わない土着人を退治してまわって、殺されたこの地の人からすると、とても恐ろしい人間だったのでしょう。

 

平成の天皇陛下は平和主義でご性格も温厚、在位中はずっと国民のために祈ってくださいましたので、戦後生まれの人々にとっての天皇家のイメージは、平和で温和なものになりました。

 

しかし、もともと天皇家の始まりは、覇道であったことは確かです。土蜘蛛たちは、その覇道の犠牲者だったのでしょう。そしてその後の天皇家の歴史は、権力闘争の歴史でもあり、大化の改新、壬申の乱、他、争いごとがずっと何世代も繰り返されたのです。

 

いよいよ新しい元号の令和が始まりますが、平和な時代でありますように。