こばると歴史探訪ログ

関西の史跡や寺社を訪れた記録です

大阪府立狭山池博物館

まだ行ったことがない面白い場所はないかなー、といつものようにグーグルマップを眺めていました。

 

「博物館」で地図検索すると、狭山池に博物館を発見。こんなところに何の博物館?と思って調べると、狭山池は日本で一番古い「ダム式ため池」であり、その博物館であるとか。しかも建物は安藤忠雄氏の設計とのこと。これは行くしかない!

 

 

実は私、安藤さんの建築が大好きなのです。安藤さんの建築は、空間がとても面白く造られていて、その中を歩いていると自分の空間感覚への刺激があるのです。建物だけではなく、地形や自然とうまく組み合わせたり、光のとり入れ方にも工夫があって、作品がとても楽しめるエンターテインメントになってるんですね。


それと、大阪狭山市にも若干興味がわきました。関西に住んで長いのですが、狭山池のある大阪狭山市っていうのは、私の中でまったく存在感がなく、今まで訪れたことがありません。狭山藩っていうのは記憶にありますが。地図で見ると堺市の東側の小さい市。そういえば泉北に1年ぐらい住んだことがありましたが、隣が大阪狭山市というのは知りませんでした。私の家は大阪市の北のほうなので、阪神高速環状線から松原線を通り、美原北ICで降ります。そこから下道を20分くらい。広大な住宅地エリアの中にある狭山池へ向かいました。

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大きな箱


狭山池博物館は住宅地の高台にある巨大な箱のような建造物で、遠くから結構目立ちますね。存在感がありすぎます。最初に狭山池を見に行きました。かなり大きい池です。高い堤防は人工的につくられたのでしょうか。これが日本で最初の灌漑用のダム式貯水池。

 

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巨大なため池

博物館の入り口を捜します。池の堤防から少し降りたところにエントランスらしきものがありました。

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狭山池博物館入り口

入るとまずコンクリートの構造物の上に水がたまってます。淡路島の本福寺のように、水の下に構造物がある。池の博物館ということで、水を使った建築にしたかったのでしょうね。この水が下の回廊に雨のように滴り落ちる仕掛けになってるようです。ぐるっと回ると、安藤先生の得意技である吹き抜けコンクリート空間と、細い通路が。2001年に建てられたこの施設は、2004年に出来た直島の地中美術館と、地上から地下にもぐる構造とか通路がなんとなく似ています。

 

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やたら長い通路

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円形の広場が入り口


通路を抜けたことろは、円形の空間になっており、周囲を回りながら二階部分の入り口に入るようになってます。もったいぶって、ちょっとめんどくさい構造。

 

入り口から中に入るとまず目に入るのが巨大な壁。その存在感に圧倒されます。何なのこれ?

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巨大な壁を収納する巨大な建物

 

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巨大な壁の展示物

 

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壁はブロック状のものを貼り合わせて運んだみたい

 

解説を読むと、池の修復時に出てきた地層的なものを切り出して運び入れたとか。地層から池の修復の歴史が読み取れます。何度も改修を重ねてるんですね。

 

他にも水を流す樋のようなものとか、いろいろ展示してありました。ざーっと見物を終えると、ちょっと違和感があります。この博物館のメインコンテンツがため池と灌漑用の樋とか。うーん、歴史があるのはわかるけど、ここまで仰々しいハコの建物いるのかなあ。安藤先生の建築は大げさだし。もっと普通の建物でいいんじゃないの?と感じました。樋だって、当時の木造建築の大工と比べたら、技術的にも文化的にもたいしたことないしさ、池も土木工事だしなあ。中国人の団体観光客がいましたが、退屈そうに通訳の話を聞いてました。

 

帰ってネットで調べたら、やはりかなりの建築費がかかってる。

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ハコモノにふさわしい外観

入場料無料なので維持費も大変そう。「とにかく世界に誇れる博物館にしてください!」って当時の誰かが安藤先生にお願いしたんでしょうけど、役所と一緒に暴走して不必要な税金を使っちゃったんじゃないの?安藤先生は。

 

家に帰って、いろいろ調べて考察です。まず狭山池というのは行基さんがつくったそう。行基さんは奈良時代のお坊さん。利他行をモットーに、労働力として都に来た人たちが、行き倒れになるのを救ったり、信者と一緒に橋を作ったり、池をつくったりと、みんなの生活が良くなることをいっぱいして、菩薩といわれたお人です。当時のお坊さんは、念仏を唱えて死者を弔ったり、先祖を供養したりする宗教家というより、大陸からの技術を伝えたり、病気を治療したり、様々な知識を伝える学者という面があった。大学教授なんていないし、お坊さんが知識の最先端をいってた。そして行基さんは、土木工事の専門家や大工さんなどの技術者も率いてたらしい。リーダーシップと業績から、民衆からとても尊敬されていて、あまりにも人気があったため、当時の政府から疎まれて、嫌がらせもされたりもした。けども、聖武天皇が大仏をつくるときに、その人気と能力を利用するため、行基さんに大僧正の位を与えて、大仏をつくらせたとある。奈良の駅前には行基さんの銅像があり、奈良では好かれているらしい。


行基さんつながりで、奈良の大仏のことを思い出す。大仏の大きさにはほんとうに驚かされます。奈良時代にこんな巨大なものをつくる技術があったなんて。そして何故あれほどまでに巨大な仏像が必要だったのでしょう。当時の人はどう思ったのでしょう。それはそれは、その大きさにたいそう驚いたでしょうね。今までの人生で見たことがないほど巨大な仏像。ひたすら畏怖一色だったんじゃないですかね。自分の知識や経験をまったく超えたものを目にするのですよ。現代人だといきなり空から巨大なUFOが降りてくるぐらいの驚きがあったんじゃないでしょうかね。そしてそれを作った天皇に対しても権威や脅威を感じたのではないでしょうか。

  

歴史的建造物は時の権力者が、自分の力や存在感を誇示するために造られたといってもいいですね。そういう建造物は世界中のあちこちにあります。人間が群れると権力争いが起こり誰かが頂点に立ち、支配構造をつくりだす。そしてそのシステム維持のために巨大な建造物を造る。建造物は支配する民たちの度肝を抜ければ抜けるほど、効果的な役割を持っていたのです。 

 

現代建築も歴史的建造物が持つ心理的効果を使っています。安藤先生は建築家になる前、世界のあちこちの建造物を見て回ったとか。ヨーロッパの建築を見たときに、普通の人は細かい装飾が気になりますが、安藤先生は空間を感じたんでしょうね。安藤先生の建築はコンクリートの無装飾。空間による心理的効果にとにかくこだわってます。機能性を無視した長い通路、巨大な空間や吹き抜け、構造的に無理した形状などなど、他にない空間が安藤先生の得意技。先生も若いときにはもっと実用的な建物を設計してたと思うけど、いつの間にか心理に訴えるアート建築のほうがメインテーマになっちゃったんでしょうねえ。海外にはそんな建築家はいっぱいいるんだけど、日本は安藤先生が第一人者だし、世界に誇れるアーティストだと思います。

 

昔のお寺や神社などの建物も、歴史、権力、宗教とかの視点を除けば、建造物、文化、アートとして楽しめる、ということがボクの視点です。関西は全国で一番のアートコンテンツ保有エリアなのです。そういう面白さに気づいたら、古い建築巡りも楽しいですよ。